おかげさまで生きてます

日々の暮らしのなかで

としよりの日

2010年02月20日 | 日記・エッセイ・コラム
僕の住む町は数年前の“平成の大合併”で
近隣の三町が合併したが、それぞれの町には
特徴があった
 
まずは、杉原紙
鎌倉時代より漉かれる名紙
次は、酒米で有名な“山田錦発祥の地”
この二つについて詳しくは
それぞれでウィキっていただくとして
もうひとつは、敬老の日提唱の地!と言うことだ

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これも詳しくはウィキぺディアで
調べて頂きたい
ざっと言えば、お年寄りを大切にして
その知恵を借りながら、村づくりをしようと
提唱したことに始まる
 
よく、母の日や父の日でも同じような事を
聞くことがあるが
 
『普段から考えていればいい』
 
特に日を設けて感謝しなくてもいいじゃないか!と
言われることがある
しかしだ、時にはそんな時間を押し付けられたとしても
じっくり考える日があってもいいと思う
個人的にそう思うだけであって
周りがそう言うから反対を言ってるわけじゃない
そこまで天邪鬼じゃないと思っているが
そういえば、天邪鬼もまた
我が町が誇る有名人だった
 
「としよりの日」として始まり
やがて県内に広がり、そして全国的に
拡大し、祝日となった
 
そんな敬老の日を提唱された当時の村長さんが 
お亡くなりになられた
 
時間の流れは時として大きすぎて
実感できないときがある
歴史上の出来事は教科書の中の物語のように
感じる時すらある
江戸時代が今から何年前まであったとか
そんなに遡らなくても
太平洋戦争があったことさえも
伝え聞いた自分としては
祝日の元になった日を提唱された方が
身近に居られたことは、驚きと同時に誇りでもあった
 
当時の方がどんな思いで、その日を作ったのかは
推し量ることも出来ないが
その思いは、今でも続いていると思う
 
ご冥福をお祈りいたします
 
 


コメント
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