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日々の暮らしのなかで

まとまりのない話

2011年01月07日 | 日記・エッセイ・コラム
絵本だったかな?国語の教科書だっただろうか
 
大工の棟梁が弟子の作業を見守っている
一連の作業が終わり、弟子が梯子を降り始める
黙って見ていた棟梁が、
残り1メートルほどの高さの時に初めて声をかけた
 
「気を抜くな!」
 
遠足は家に帰るまでが遠足です!
と、似たような、似て非なるような感じもするが、
とにかく、最後まで気を抜くなと言う教え
しかも、それは最後の最後、飛び降りれそうな高さに
降りてきた時に、声をかける
 
これがこの話の真髄なのだ
 
当時はこれがどういう意味なのか、
それをはっきりと理解していたとは言い難いが、
それでも何となく、この棟梁の言わんとする事はわかった
 
魔が差すと言うことかも知れないが、
一番怖いのは、油断だ
“この高さなら大丈夫”と思うところに油断が生まれ、
それが大事になりかねない
 
また、“高さ”だけで言うなら、
数メートルの高さに一番恐怖を覚える
1メートルほどなら、仮に落ちても大した怪我はしないだろうし、
反対に100メートルの高さなら、落ちてしまえば
怪我ではすまない 
無傷と諦め
その間にある高さにこそ、恐怖と油断が生じるはず
高所恐怖症の僕がそれを力説しても説得力に乏しいが、
おおむね、この考えは合っているだろう
 
そこで今日の本題
 
女性の件だ
あまりにも高嶺の花だと、逆に緊張しない
タイプでない女性の前でも、さして緊張はない
自分が口説けそうな女性が目の前に現れた時、
胸の高鳴りは徐々に上昇カーブを描く
鼓動が早くなるのを感じる
 
高さと一緒だ
モデルや女優が目の前に現れたとしても、
芸能人として羨望の緊張感はあるだろうけど、
口説くという思惑は、まずないだろう
そして、逆に見初められる希望も少ない
 
逆に、タイプじゃない女性はどうだろう?
こっちは安全だと思っていも、
向こうがどう思っているか解らない
そこに油断が生まれないとも言えない
 
 
「何を自惚れてるんだぁ?自分をよく見ろぉ!」
 
 
棟梁のそんな声が聞こえそうです
 
 
 


コメント
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