全国にどれだけ設置されてる?
押しボタン式信号機
歩行者が、渡るときに応じてボタンを押す、
なんとも面倒くさいアレ
あれって、結構、押すタイミングが難しいし、
立場が変われば、その見方も
結構変わるものなんですよね
「押すタイミングってなんやぁ?」
自分でも書いていてもそう思いましたが、
歩行者の場合、押すことを少し躊躇する?と言うか、
“今”押すのか、状況を見極めてからなのか・・・・と、
ボタンひとつ押さえるにしても、
そこには、小さな葛藤があるんです
あれって、全国的にみて、
やっぱ田舎に多いんでしょうか?
普段は黄点滅もしくは青が点灯している信号機を
ボタンを押すことによって赤にして、
歩行者である自分が渡れる状況を作るって事だから、
必然的に、交通量の少ない場所に多いと推測
そうなると、やっぱり田舎の方が多いんでしょうな
さっきタイミングの話をしましたけど
あれって、押してから信号が変わるまで、
少々“タイムラグ”があるんですよね
急ぎの用事で、早く渡りたいのに、
そんな時に限って数珠繋ぎにやってくる車列
「我慢できない!」
何を我慢してたのか知らないが、
意を決してポチッとボタンを押す
が
信号が変わる頃には、
いや、押した瞬間に車列の最後尾が目の前を通り過ぎ、
その効力に頼ることなく、横断歩道を渡れる状態になる
万に一つ、その場に遅れてやってきた
一台が居れば、災難だ
すでに、信号が変わる前に歩行者が渡ってしまった
“主(あるじ)なき赤信号”
の前で、自分はなんで止まってるんだ?と
自虐的に思案しながら、止まらざるを得ない車両
これが所謂、タイミングって事です
しかし、この事も、
ドライバーと歩行者では、その遭遇した同じ場面でも
立場によって解釈が違い、
相容れないものになってしまう
「押さんと渡れよ!」
「車は止まれ!」
不思議な事に、ドライバーが歩行者に、
歩行者がハンドルを握るといった、それぞれに
立場が入れ替わっても、抱く感情も
同時に入れ替わってしまい
相手の境遇に同情も賛同もできないほど
複雑な心理がある
全国にある押しボタン式信号機の数だけ、
そんな悲喜こもごもなシーンがあるはずだ
押しボタン式信号機
歩行者が、渡るときに応じてボタンを押す、
なんとも面倒くさいアレ
あれって、結構、押すタイミングが難しいし、
立場が変われば、その見方も
結構変わるものなんですよね
「押すタイミングってなんやぁ?」
自分でも書いていてもそう思いましたが、
歩行者の場合、押すことを少し躊躇する?と言うか、
“今”押すのか、状況を見極めてからなのか・・・・と、
ボタンひとつ押さえるにしても、
そこには、小さな葛藤があるんです
あれって、全国的にみて、
やっぱ田舎に多いんでしょうか?
普段は黄点滅もしくは青が点灯している信号機を
ボタンを押すことによって赤にして、
歩行者である自分が渡れる状況を作るって事だから、
必然的に、交通量の少ない場所に多いと推測
そうなると、やっぱり田舎の方が多いんでしょうな
さっきタイミングの話をしましたけど
あれって、押してから信号が変わるまで、
少々“タイムラグ”があるんですよね
急ぎの用事で、早く渡りたいのに、
そんな時に限って数珠繋ぎにやってくる車列
「我慢できない!」
何を我慢してたのか知らないが、
意を決してポチッとボタンを押す
が
信号が変わる頃には、
いや、押した瞬間に車列の最後尾が目の前を通り過ぎ、
その効力に頼ることなく、横断歩道を渡れる状態になる
万に一つ、その場に遅れてやってきた
一台が居れば、災難だ
すでに、信号が変わる前に歩行者が渡ってしまった
“主(あるじ)なき赤信号”
の前で、自分はなんで止まってるんだ?と
自虐的に思案しながら、止まらざるを得ない車両
これが所謂、タイミングって事です
しかし、この事も、
ドライバーと歩行者では、その遭遇した同じ場面でも
立場によって解釈が違い、
相容れないものになってしまう
「押さんと渡れよ!」
「車は止まれ!」
不思議な事に、ドライバーが歩行者に、
歩行者がハンドルを握るといった、それぞれに
立場が入れ替わっても、抱く感情も
同時に入れ替わってしまい
相手の境遇に同情も賛同もできないほど
複雑な心理がある
全国にある押しボタン式信号機の数だけ、
そんな悲喜こもごもなシーンがあるはずだ