ラジオを聞きながら仕事をしているが
その放送で、時節柄を感じることができる
例えば、1月31日の放送だと
「もう今年も一ヶ月が終わってしまいました!」
5月31日には、
「今年も半分終わってしまいますね!」
翌6月1日には、
「今年も後半戦のスタートです!」
この常套句が、毎年リピートされる
確かにそういうしかないのも分かるが、
録音した音源を毎年流してもバレないだろうな!
と、思うほど、毎年飽きずに同じフレーズを
いうのだ
そして今日
いわずと知れたバレンタインデー
これまたラジオでは
飽きもせずに毎年同じことを喋る
「このイベント、もうやめませんか!」
とは、ここ数年、必ず提案される事項である
告白することがその大義であったイベントが
いつからか、チョコを贈ること自体が行事化し、
義理チョコから、友チョコ、そして遂には
自分チョコなる、誰に踊らされてるのか?と
洗脳騒ぎにしたくもなくほど、
節操なく広がる一大イベント!
そのほとんどではなく、
主に「義理チョコ」がその槍玉にあげられるが、
そもそも義理チョコを貰えなくて
落ち込む男がいるだろうか?
いや、いるからこそ、
女性の方々から「面倒臭い」とのご意見を
いただくと思うのだが、
女性の方々が思っておられるほど、
男は義理チョコに比重は置いていないと思われる
もちろん、異性からのプレゼントという点では
喜ばない男も少ないだろう
素直に喜べないとすれば、
それはバレンタインデーに関係なく、
贈られた相手になんからの要因があるのでは?と
邪推する次第
チョコを用意する苦労話は涙なしにも聞けるが、
渡すのが面倒くさい!いわれれば、
売り言葉に買言葉で
「じゃ、いらないですよ!」
と、返しそうになるが、ひ弱な昨今の男には
そんな大それた返信ができるわけもなく、
黙ってチョコをもらうことに対する批判も
正面から受けざるを得ない
と、ここまで書いて思ったが
僕自身、毎年2月14日には
この話題を書いている気がしてきた
人のことは、言えませんよね
その放送で、時節柄を感じることができる
例えば、1月31日の放送だと
「もう今年も一ヶ月が終わってしまいました!」
5月31日には、
「今年も半分終わってしまいますね!」
翌6月1日には、
「今年も後半戦のスタートです!」
この常套句が、毎年リピートされる
確かにそういうしかないのも分かるが、
録音した音源を毎年流してもバレないだろうな!
と、思うほど、毎年飽きずに同じフレーズを
いうのだ
そして今日
いわずと知れたバレンタインデー
これまたラジオでは
飽きもせずに毎年同じことを喋る
「このイベント、もうやめませんか!」
とは、ここ数年、必ず提案される事項である
告白することがその大義であったイベントが
いつからか、チョコを贈ること自体が行事化し、
義理チョコから、友チョコ、そして遂には
自分チョコなる、誰に踊らされてるのか?と
洗脳騒ぎにしたくもなくほど、
節操なく広がる一大イベント!
そのほとんどではなく、
主に「義理チョコ」がその槍玉にあげられるが、
そもそも義理チョコを貰えなくて
落ち込む男がいるだろうか?
いや、いるからこそ、
女性の方々から「面倒臭い」とのご意見を
いただくと思うのだが、
女性の方々が思っておられるほど、
男は義理チョコに比重は置いていないと思われる
もちろん、異性からのプレゼントという点では
喜ばない男も少ないだろう
素直に喜べないとすれば、
それはバレンタインデーに関係なく、
贈られた相手になんからの要因があるのでは?と
邪推する次第
チョコを用意する苦労話は涙なしにも聞けるが、
渡すのが面倒くさい!いわれれば、
売り言葉に買言葉で
「じゃ、いらないですよ!」
と、返しそうになるが、ひ弱な昨今の男には
そんな大それた返信ができるわけもなく、
黙ってチョコをもらうことに対する批判も
正面から受けざるを得ない
と、ここまで書いて思ったが
僕自身、毎年2月14日には
この話題を書いている気がしてきた
人のことは、言えませんよね