雪が来る前、樹々は葉を落とし冬の眠りにつく。こんな季節の樹の姿を見るのが好きだ。幹から枝が分かれ、その先の今年伸びたシュートがはっきりと見える。全体の樹形が葉などに隠されるのことなく目にとまる。近づいてみると春のための芽が固く包まれて冬越しの準備をしている。樹の生命力は冬にこそはっきりと確認できる。
冬木立影おく中のおのが影 桂 樟蹊子
今年の雪の降り方はすでに異常だ。例年であれば北海道の朱鞠内、青森の酸ヶ湯、山形の肘折が3大多雪ちだが、今冬、酸ヶ湯に2mを超える雪が降ったのに、まだ肘折の雪はニュースにならない。山形の平地に積雪が見られない。クリスマスがやってくるが、今年はホワイトクリスマスが見られるか、やや不安だ。雪の多い年は豊作だと言われるが、その理由は雪で土中の害虫が死ぬからと説く人もいる。
晩秋の青空に飛ぶ蜘蛛の糸を「雪迎え」と呼んだのは、歌人の結城哀草果だ。
「隣の東置賜郡には、降雪前に必ず「雪迎え」というものが空を飛ぶ。澄んで晴れた晩秋の空を飯豊山の方角から、白く細い、兎の毛のような、それよりも細い蜘蛛の糸のようなものが飛んで来て、蔵王山の方向に行ってしまふ。「雪迎え」はきまって西南の方角から東北に向かって行くのである」(結城哀草果)
自分の場合は、晩秋の寒い日中に、雪虫が突然現れて頭の上を飛ぶのを見ながら、今年も雪が来るなと感じたものだ。
散歩道に残っているは、ツバキと寒菊だ。木々の葉も落ちたなか、サザンカや寒菊が咲いているのを見ると、その生命力の強さに励まされる。漱石の句が思い出される。「寒菊や京の茶を売る夫婦もの」