常住坐臥

ブログを始めて10年。
老いと向き合って、皆さまと楽しむ記事を
書き続けます。タイトルも晴耕雨読改め常住坐臥。

湯豆腐

2024年11月28日 | 日記
寒気が入っておきがけはめっきり寒くなった。紅葉した木々の葉は葉の重みだけではらはらと散る。葉のない越冬の木の形が見られるようになった。寒い季節に懐かしいのは湯豆腐だ。昆布とタラの身を入れて豆腐を煮るだけのシンプルな鍋だが、昔からこれが好きであった。子どもたちが家にいたころは湯豆腐を囲んで一家で温まるのが冬の習わしであった。当然、親たちは熱燗を一杯ということになる。子どもたちはよほどこれが気に入ったと見えて、次女の家に結婚がきまった相手の両親が会いに来た時、長女と次女が子どものころ食べたタラちりを作って振るまったのには驚いた。恥かしくもあり、うれしくもあった懐かしい思い出だ。

吉田健一の『私の食物誌』に湯豆腐についての記載が見える。
「湯豆腐というのも、これからの季節には、人の身も心もあたためてくれるものだ。とくに酒呑みには欠かせぬ。それを何より好きだったのが久保田万太郎だ。」と書き、万太郎の作った小唄を紹介している。

身の冬の
とどのつまりは
湯豆腐の
あはれ火かげん うきかげん
月はかくれて
あめとなり
雨また雪となりしかな
しょせん この世はひとりなり
泣くもわらうも
なくもわらうもひとりなり

しぐれの季節になると、遠い昔を思い出したり、ひとりで生きる寂しさがしんしんと心に沁みる。
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サザンカ

2024年11月27日 | 日記
サザンカが青空に映える。モミジの紅も今日がピークのような気がする。テレビで明治神宮のイチョウがの黄葉が見ごろで、見物の人であふれている映像が放映された。こちらでもイチョウの黄葉が見られるので、北から進む紅葉前線というものはなくなったようだ。北も南も一度に紅葉が見ごろになっている。
  
山茶花や高まるのみの雲一片 渡辺 水巴

マイナポータルからメールが来た。去年もそうだったが、扶養親族申告書を電子申請することに。 3年まえまで、郵送で送られたきた書類に記入して自書して印鑑を押して返送したのが、メールの書式で簡単に済ませられる。健康保険もマイナポイントに紐づけたが、電子証明書の有効期限が来年の誕生日に迫っている。市役所の窓口に行かなければ更新できないので不便だ。紙の保険証が廃止されので心配していたが、後期高齢者には紙の保険証の代わりになる資格証明書が送られてくる、という記載があった。

新しくしたスマホ。長く格安スマホで過ごしてきたが、今度はドコモの回線でしっかりと契約した。ショップの相談が予約背制だったり有料だったりするが高齢になってもしっかり使いこなすことをめざしている。先日ひ孫とビデオ電話をする機会があった。遠いジジ、ババの顔をみてケゲンな顔をしていた。笑いながらビデオ電話をする日が来るか。遠くに住む家族とつながるツールがスマホということになる。スマホには見る、聞く、読むの三つを組み合わせたマルチツールだ。これを組み合わせてインプットを広く、深く行うことができる。これからの人生を楽しむ唯一無二のツールと言える。
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小春

2024年11月21日 | 日記
昨日、一気に寒気が来て瀧山が白くなった。室内も冷え込んでエアコンの暖房にした。朝の空気が冴えわたる。今日はぽかぽかな小春日和になるらしい。小春とは陰暦の10月、新暦の11月をさす。寒気が去って、風のないおだやかな日和を小春日和という。天気キャスターの倉嶋さんによると、アメリカではこの気象をインディアン・サマーと呼ぶと解説していた。本格的な冬を前に、恵まれた暖かな日を冬ごもりの支度のために平原に姿をあらわす。集団によってはこの季節は寒い冬を避けて南に異動していく一団もあったらしい。

籬より蝶あらはれし小春かな 大橋越央子

作家の小島直紀は『老いに挫けぬ男たち』のなかで自分の病後を養うなかで二つの夢を語っている。一つはヨーロッパの旅をすること、二つはうまいものを食べることである。その合間に佐藤一斉の『言志四録』の一節ずつを拾って読んでいる。「その老ゆるに及んでや、これを戒むるは得なり」そして一斉が若いころにはこの得の意味するところを理解できずにいた。年をとって得た境地でそこを解説した現代文がある。

「生きるも死ぬも天命である。いま老年になって、強いて養生し、長生きをしようとするのは、天命を知らないやり方である。子孫の幸福も、おのずから天の与える分限がある。いま子孫のために殊更に配慮しようとするのもまた天命を知らないからだ。こういうことは老いぼれて、心の乱れた者のすることですべて『得』を戒める条件である。ただ以上のことは自分の考えで、他の老人たちはどう思っているか知らない。」

一斉の考えでいけば、健康のために運動したり、孫子を思いやるこは戒めるべきことであるかも知れない。

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紅葉の峠道

2024年11月17日 | 登山
小国の黒沢峠の峠道を歩いてきた。最後の紅葉を見るためであったが幸運にも天候に恵まれた。例年であればもう紅葉は終わっている時期だが、今年は暑い秋で時期がずれたことも幸いした。落ち葉をが積もる石畳は歴史の道だ。散り積もった落ち葉の上を歩くのは山歩きならでは醍醐味だ。ふわふわとした落ち葉の上は安心で、山道特有の怖さはない。

十三峠は越後街道の別称である。越後の下関から川西町の小松まで、伊達植宗が開いた街道だ。越後からは生魚、塩が入り置賜からは青苧、たばこ、絹織物、米などが移出された。山間部に十三の峠を越えて荷物を移送、人の通行があった。かっての黒沢峠は積雪が多く雪崩が頻発した。そのため荒川の支流横川沿いに市野々に通じる現在の道に改修された。手の子の問屋横山五郎右衛門によって改修が行われ、切り石2,200枚を敷き詰めて通りやすい道になった。市野々には高井家という問屋があり、9軒もの宿屋がある街道の宿場町であったが、小国新道の開通でこの集落の役割を終え現在はその面影もない。

落ち葉の上をゆっくりと歩くと当時の人々の行き交う姿が脳裏に浮かぶ。人力から馬車へ、交通手段も明治になって変わっている。地形を細かく見ながら歩きやすい工夫が随所に見られる。古屋敷は墨書した大きな柱だけが立っているがここは、歩き疲れた人々が休んで一服する茶屋の跡である。この日、黒沢峠を歩いた仲間は10名、内男性3名であった。山の会の今年の計画も12月の2回を残すのみ。今日は比較的気温が高く秋の日よりだが、明日から大陸から寒気が入ってくる。秋の山歩きも今年の最後となった。帰路、叶水のほたるで新そばを味わった。
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歩き方研究

2024年11月15日 | 日記
年を重ねると新しい発見が何より楽しい。最近の発見は歩き方の気づきだ。人間の身体は前身の屈筋と後ろの背筋で構成されている。歩く時前の屈筋ばかりを使っていると次第に前屈みになり背中を丸めた年寄り歩きになっていく。ユーチューブで教えてくれたのが後ろの伸筋を使ってまっすぐに伸び伸びとした歩き方だ。一歩右足を踏み出すとき左の後ろの足に意識を置く。こうして歩くととにかく疲れない。つい癖になっている屈筋を使っていることに気づいて歩き方を修正する。そのことだけがうれしく朝の散歩のモチベーションになる。

楽しみがもう一つある。スマホの機種変更だ。しかも今注目の的になっているグーグルピクセル9。イルモの安いプランでドコモの仲間入り。ドコモのポイント生活がより身近になる。最新のスマホ機種が新しい人生のパートナーになる。変更を待ちきれなくて「グーグルピクセルスマートガイド」を書店から買ってきた。パソコンでお世話になっているグーグルがスマホで駆使できる。これからの健康管理もスマホに助けてもらう。
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