昨日の抜けるような青空から一転、氷雨のなかの大晦日になった。道路や散歩道に、雪のない新年になりそうだ。守歳という言葉がある。中国の風習だが、大晦日は寝ずに新年が来るのを待つ。これが守歳である。そういえば、自分も若い頃は除夜の鐘を聞きながら、新年が来るのを酒を飲みながら待っていたものだ。テレビから流れて来るのは、日本各地のお寺でつく除夜の鐘。その様子を語るアナウンサーも新年を待つおごそかな雰囲気を漂わせていた。
故歳 今宵尽き
新年 明日来る
愁心は斗柄に随い
東北に春の廻るを望む
玄宗皇帝の宰相張説の詩だ。詩の題名は「欽州守歳」。斗柄とは北斗七星のこと、東北の春とは左遷された欽州から見た東北、長安に新春が巡ってくることを願っている。唐詩の詩情は自己を辺境の地に置きそこから都を思いやることで増していく。
一方、江戸の新春はナズナ打ちの風習がある。正月七日は七草粥を食べて一家が息災であることを願うのだが、その前夜に一家ではまな板にナズナなどの若菜を載せて叩く。「七草なずな唐土の鳥が日本の土地へ渡らぬ先に」と囃子歌を歌ながら一家でトントンと囃したてた。
うち囃し馬も嶃よ薺の夜 白雄