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常住坐臥

ブログを始めて10年。
老いと向き合って、皆さまと楽しむ記事を
書き続けます。タイトルも晴耕雨読改め常住坐臥。

藤波

2016年04月27日 | 万葉集


近所のお宅で藤の花が咲いていた。ちょっと早いのではないかと思い過去のブログを検索してみた。昨年も一昨年も5月10日前後に藤の花が登場していた。やはり今年は2週間も早く花の季節が来ている。庭に咲く花のうちにも外来種の花の多いなか、藤は日本古来の花である。古く万葉集にも、藤を詠んだ歌が見えている。長短歌を合わせて28首にのぼる。

恋しけば形見にせむとわが屋戸に植ゑし藤波いま咲きにけり (巻8・1471)

写真は白花の藤だが、詠まれているのは紫の藤であろう。波打って咲く藤の花は、いとしい恋人の長い黒髪がなびいている様子を連想させる。藤波はエロスの象徴として詠まれている。万葉の時代には、恋しいということが肉体的な官能に結び付くおおらかな時代であった。山部赤人が詠んだ歌である。


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つつじ

2016年04月12日 | 万葉集


万葉集でつつじを詠んだ歌が10首ある。山地に自生する山つつじを詠んだものが多い。丹つつじ、白つつじ、岩つつじなど種類を分けて詠まれている。松田修は、岩つつじを河岸の岸壁など生えるサツキであろうと推量している。

水伝ふ 磯の浦みの 岩つつじ 茂く咲く道を また見むかも(巻2・185)

水に沿っている石組みの辺の岩つつじ、そのいっぱい咲いている道をまた見ることがあろうか、と慨嘆している。万葉人にとって、花に会うのも一期一会、それだけに茂るように咲くツツジの花を見ることは、大きなよろこびであった。
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梅の花

2016年02月10日 | 万葉集


例年なら梅の蕾が膨らんでくると、早く花が見たくなって室内に入れてしまう。すると、梅は1週間ほどで満開になって、あっという間に見終わってしまう。今年は暖冬ということもあって、ずっとベランダに置いたままにしてある。おかげで、梅の蕾がゆっくりと膨らんで少しづつ花を開いていく様子をみることができる。先日未明の気温が-6℃という日もあったが、花は凍ることもなく確実に開いていく。今朝は、鉢に雪が降りかかる中に大きく開いた花に感動した。

春されば先づ咲く宿の梅の花ひとり見つつや春日暮らさむ(万葉集巻5・818)

万葉人にとって、春の訪れを最初に知らされるのは梅の花であった。舶来の珍しい花でもあり、家の庭に植えてあるのは、貴族の誇りでもあった。この歌は大友旅人の家の花見の宴で詠まれたものである。2年前旅人は最愛の妻大伴郎女を亡くしている。宴会では、そんな旅人の心情を思いやって詠まれたものである。
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まゆみ

2015年10月19日 | 万葉集


まゆみが紅葉した葉を落し、赤い実だけが秋空に映えていた。山形の笹谷峠は、やはり桧枝岐に比べると秋が早い。背景にある山形神室の高いところでは、すっかり木が葉を落し、冬の到来に備えている。まゆみの木は特別の木である。かつて弓の材として用いられ、また和紙を漉けば、特別の紙として使われた。万葉集の譬喩歌、弓に寄すに

南淵の細川山に立つ檀(まゆみ)弓束巻くまで人に知らえじ 巻7・1330

南淵は明日香の稲淵で飛鳥川に上流にある。また細川山は明日香の東南にを流れる細川にのぞむ山である。この地方は早くから開けた土地で、人里離れた深山ではない。葉が落ちて赤い実がなると、すぐ人目につく。このまゆみから、弓を作った。歌の意は、南淵の細川山に立っているまゆみよ、お前を弓に仕上げて弓束を巻くまで、人に知られたくないものだ、ということだ。

この歌はさらに敷衍すれば、目につけた女を妻にするまで誰にも知られたくないという男の願望をまゆみなぞらえて詠んだものである。弓は狩に使う飛び道具である。当時の男にとっては、なくてはならぬものであった。そのために人に知られたくはないものの、余りに目立つ存在であるため、男の願望をよそに、様子のよい女はすぐに男たちの取り合いになり、厳しい競争に晒されたものと思える。
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2015年09月18日 | 万葉集


万葉の歌人たちは、ことのほか萩を愛した。山に自生するヤマハギである。山上憶良が詠んだ秋の七草には、萩が一番にあげられる。ものの本によれ、万葉集には萩の花を詠んだ歌が137首にのぼるという。これは花を詠んだ歌のなかで集中一番多いとされる。

秋風は涼しくなりぬ馬並めていざ野に行かな萩が花見に (巻10・2103)

現代でいえば車を連ねて紅葉狩りに行くような感覚で萩の花を心待ちにしていた。萩は涼しい風が吹くとき咲くものと考えられていた。花の咲き始めから、盛りの萩、秋風に揺れる萩、という風に萩の観察も仔細にわたる。後世の日本人が桜の花を愛したように、万葉の歌人たちは萩を愛でて飽くことがない。



光禅寺の東側にある萩。道に沿って、萩が並んで植わっている。なかに白い萩が2本、目に飛び込んで来た。なんともいえない美しさだ。

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