常住坐臥

ブログを始めて10年。
老いと向き合って、皆さまと楽しむ記事を
書き続けます。タイトルも晴耕雨読改め常住坐臥。

雪景色

2020年01月22日 | 漢詩
昨日降った雪が朝日に当たって美しい。放射冷却で気温も下がり、少し霞んだ感じがする。今年は、こんな景色が珍しく、新鮮に感じる。それほどに、今年の冬は、雪が少なく気温が高い。今週は低気圧が太平洋の方に停滞するらしい。菜の花の咲く季節に見られるナタネ梅雨の先取りのような現象が起きているらしい。ひょっとすると、このまま節分を迎え、春がやってくるような気がしてきた。どこかで、どんと大雪がくるような気もするが。

唐の詩人、柳宋元が詠んだ漢詩「江雪」というのがある。詩吟の吟題にもなっていて好きな漢詩のひとつだ。

千山鳥飛ぶこと絶え
万径人蹤滅す
孤舟蓑笠の翁
独り釣る寒江の雪に

詩の意味は、見渡す限りの多くの山々には鳥の飛ぶ姿が見えなくなり、どの小径にも人の足あとは消え去っている。蓑を身に着け、笠を被った老人がただ一人、小舟に乗って雪の降る川面に釣り糸を垂れている。こんな風に解釈するのが一般的だ。
こんな季節に魚など釣れるのか、といぶかしくもあるが、釣りは深い自然と一体化することで孤独を癒す行為でもあった。柳宋元も中央で政治に失敗し、文化はつるへき地へ左遷された。この釣りをする老人の孤独な姿は詩人の心象風景でもあったであろう。その詩境は画家の心を動かし水墨画のテーマとなって多くの絵が残されている。またこの詩は後世の人の心を打ち、冬の絶唱として読まれ、吟じ続けられてきた。魚が釣れるか、どうかなどという世俗的な疑問を越えた詩の世界がそこにはある。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

菊花

2019年11月13日 | 漢詩
雲のない快晴が続く。この晴天も今日まで、陽に照らされた菊が可憐だ。寒さが加わるごとに、菊の輝きが増してくるような気がする。それほど、寒さに強い花だ。中唐の詩人、白居易に菊の花を愛でる詩がある。

一夜新霜瓦に着いて軽し
芭蕉は新たに折れ敗荷は傾く
寒に耐うるは東籬の菊のみ有りて
金粟の花は開いて暁更に清し

霜が降り、芭蕉は蓮の葉は傾いてしまう。植物には厳しい寒さだ。それに耐えているのは、垣根の菊のみで、この花のおかげで、朝のすがすがしさが増す、というのが詩の意味である。菊が健康によいというのは、この寒さに強いことから来ているのだろう。酒に浮かべた菊の花びらを飲むのは、中国の節句の習わしであった。


白菊を明かりに例える詩もある。白菊が咲いてあたりがパッと明くるなるので、もはや蛍の光も窓の雪も必要としない。菊の花の近くの本を持っていって、一夜読書をしたい、と詩に詠んだ詩人もいた。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

夕陽

2019年06月04日 | 漢詩

山の端に日が落ちていく瞬間は驚きに満ちている。日が陰り、辺りは夕日に朱く染まって行くが、カメラを構えるほんの数分間に、夕闇が迫ってくる。その間に、日は赤さを増し、山の端は朱く染められる。この瞬間を詠んだ詩人がいる。晩唐の詩人、李商隠だ。下級官吏の家に生まれた李は、世に出るために有力者の庇護にすがり続けるほかなかった。詩文を書きながら、心に暗い影を抱きながら見たものは、山の端に落ちていく夕陽であった。

楽 遊  李商隠

晩に何んとして意適わず

車を駆りて古原に登る

夕陽 無限に好し

只だ是れ黄昏に近し

意敵わずとは、鬱屈して心にわだかまりを抱える状態である。古原は、楽遊原と呼ばれる人々の集まる、名所である。古代の廟のある高台である。ここで見る夕陽が、李の心の鬱屈を晴らしてくれる。わずか数分、時々刻々と変わる夕陽の姿に、ただ、好し、一言発するだけだ。やがて辺りは闇に包まれて、その残像だけが、心を占める。

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

盧綸

2018年12月21日 | 漢詩

盧綸と言ってもあまり知る人はいない

中唐の詩人である。生年で言えば、李

白よりおよそ50年後に生れ、白居易よ

り20年先に生れた。大暦の十才人と言

われ、その中には銭起、耿湋など日本

で親しまれている詩人が含まれている。

盧綸の生涯に大きな影響を与えたのは、

安史の乱の内乱である。幼いころに乱

を避けて江西省に移住している。大暦

になって長安に出て進士の試験を受け

るが何度も落第の憂き目を見た。盧綸

にとって長安は、花の都という風には

見えなかった。盧綸が詠んだ7言律詩

に「長安春望」というのがある。

東風雨を吹いて青山を過ぐ

却って千門を望めば草色閑かなり

家は夢中にあって何れの日にか至らん

春は江上に来って幾人か帰る

川原繚繞たり浮雲の外

誰か念わん儒となって世難に逢い

独り衰鬢を将って秦関に客たらんとは

詩人は、長安の春を景色を見ながら、

故郷を思い、世難という言葉を使って

困難な時代に遭遇した身の不遇を嘆い

ている。

この詩に出会ったのは、岳風会の連吟

コンクールの課題吟に選ばれたためだ。

詩の感性は、1200年の年数を経過し

てなお瑞々しい。

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

瀟湘八景

2018年10月10日 | 漢詩

季節が逆戻りしたような数日であったが、週

末から本格的な秋になるらしい。だが気温が

高いというだけで、足元を見ると秋はとっく

に始まっている。いや、もう深まりをみせて

いる。目をこらして、高い瀧山を見上げれば、

頂上付近は、樹々が色づいているのが分かる。

中国の洞庭湖は風光明媚で知られ、湘江と瀟

水が合わさって洞庭湖に流入するあたりは、

帝舜の死を追って二人の妃が入水して後を追

い、二人の女神となったことで有名。古来詩

人が好んで詩を詠む、格好の題材となった。

李白の詩に

洞庭湖西 秋月輝き

瀟湘江北 早鴻飛ぶ

酔客満船 白苧を歌う

知らず霜露の秋衣に入るを

早鴻は雁のこと。この詩を題材にして、後世

の画家は「瀟湘八景」を描いてきた。そのテ

ーマを記すと「平沙落雁」「遠甫帰帆」「山

市晴嵐」「江天暮雪」「洞庭秋月」「瀟湘夜

雨」「煙寺晩鐘」「漁村夕照」の八景である。

いかにも唐詩好みの組み合わせである。日本

に入ってきたこのテーマは「近江八景」など

日本の湖畔に移されて盛んに詠まれてきた。

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする