常住坐臥

ブログを始めて10年。
老いと向き合って、皆さまと楽しむ記事を
書き続けます。タイトルも晴耕雨読改め常住坐臥。

ランプ

2014年03月24日 | 読書


太平洋の高気圧が張り出して、青空が広がった。朝、6時半に朝の風景を撮ってみた。もう高く登った朝日が、街の建物に反射して、好天だ。今日の予報では、最高気温が12℃である。きのうまで、ぐずついた天気にストレスを感じていたが、ベランダの梅の鉢植えも大きくふくらんで今にも花を咲かせようとしている。

春が近づくにつれて、目が覚めるのが早くなる。日が登ると活動の本能が目覚めて、眠りから覚める。太陽が沈めば眠りにつき、日の出とともに起きて食べ物を手に入れるための活動を始める。これが太古からの人間の活動の基本であった。

半七捕物帳で知られる岡本綺堂に『ランプのしたにて』と題する明治の芝居談義がある。本の題名にランプを使ったのは、東京の一般住宅ではランプの生活であったからだ。煌々とする電灯のもとで語るより、薄暗いランプの光のなかで聞く方が話題に相応しいと考えたからであった。綺堂が子供のころ父に連れられて、新富座の楽屋に市川団十郎を訪ねた話がある。

舞台で見た目玉が大きく真っ白な団十郎は挨拶を済ませると、「坊ちゃんにはあっちの菓子を」とカステラを勧め、「あなたも早く大きくなって、いい芝居を書いてください」と笑いながら言った。そして言葉を継いで、「わたしはそれを皆さんに勧めているのです。片っ端から作者部屋へ抛り込んで置くうちには、一人ぐらいはものになるでしょう」。この団十郎の物言いに、早熟な少年綺堂は大いに反発し、心のうちで「芝居なんか、書くものか」と叫んでいる。

私は北海道の開拓地で生まれたので、小学校4年のとき、初めて電灯が引かれた。それまで一家はランプのもとで暮らした。一晩ランプを使うとほやには煤が付き、朝ランプのほやを古紙で拭いてピカピカにするのが、子供たちの仕事であった。畑仕事が済んでも、子供たちはなかなか家に入らない。日が沈んでも明るいうちは、外で遊ぶ。そのたそがれの短い時間が貴重であった。

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1 コメント

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Unknown (ゴッドばあさん)
2014-03-24 17:11:14
ランプ生活覚えは有りませんが、
今では風情が有って良いと言っていますが、
当時はランプで勉強したんでしょうから
時代を感じます。
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