寒気が入っておきがけはめっきり寒くなった。紅葉した木々の葉は葉の重みだけではらはらと散る。葉のない越冬の木の形が見られるようになった。寒い季節に懐かしいのは湯豆腐だ。昆布とタラの身を入れて豆腐を煮るだけのシンプルな鍋だが、昔からこれが好きであった。子どもたちが家にいたころは湯豆腐を囲んで一家で温まるのが冬の習わしであった。当然、親たちは熱燗を一杯ということになる。子どもたちはよほどこれが気に入ったと見えて、次女の家に結婚がきまった相手の両親が会いに来た時、長女と次女が子どものころ食べたタラちりを作って振るまったのには驚いた。恥かしくもあり、うれしくもあった懐かしい思い出だ。
吉田健一の『私の食物誌』に湯豆腐についての記載が見える。
「湯豆腐というのも、これからの季節には、人の身も心もあたためてくれるものだ。とくに酒呑みには欠かせぬ。それを何より好きだったのが久保田万太郎だ。」と書き、万太郎の作った小唄を紹介している。
身の冬の
とどのつまりは
湯豆腐の
あはれ火かげん うきかげん
月はかくれて
あめとなり
雨また雪となりしかな
しょせん この世はひとりなり
泣くもわらうも
なくもわらうもひとりなり
しぐれの季節になると、遠い昔を思い出したり、ひとりで生きる寂しさがしんしんと心に沁みる。
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