未熟なカメラマン さてものひとりごと

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悠久の時をつなぐ・唐招提寺

2013-06-17 22:01:40 | 神社・仏閣

唐招提寺の境内 この土塀はいつ頃作られたものでしょうか。

昼食後に向かったのが、唐招提寺です。私がまだ10代のころ、一度だけ参拝した記憶があるのですが、定かではありません。奈良を代表する寺院のひとつ。ユネスコの世界遺産に登録されている律宗総本山の唐招提寺です。ガイドさんが心配されていたのが、御影堂の国宝鑑真和上坐像の特別拝観の日程が延長され、当日の日曜日(9日)までとなったので、最終日ということもあり、相当混雑が予想されるのでは、ということでした。前日の御影堂の拝観には2時間待ちの長蛇の列ができたとも聞いています。
しかし、午後1時過ぎの唐招提寺は、ありがたいことにそれほど多くの参拝者の姿はありませんでした。

南大門を入ると、デーンと正面に迎えてくれるのが国宝の金堂です。井上靖の小説「天平の甍」の舞台ともなりました。阪神大震災のあと、実に10年もの歳月をかけて解体・修理され平成21年9月に大修理を完了しています。正面の8本もの太い柱は、エンタシスの特徴を兼ね備えています。法隆寺にもエンタシスは見られますが、シルクロードをとおり、はたして遠いギリシャ建築の影響を受けていたのでしょうか。エンタシスとは、大きな柱をまっすぐに見せるため中心部を太くしているものです。しかしその事実は知るよしもありません。取りあえず正面の外観のみ見て、あとでゆっくり見学することにしました。急ぎむかったのは、国宝・鑑真和上坐像が公開されている御影堂です。小走りに受付に向かうと、団体の受付には行列ができていましたが、個人の受付にはだれもいませんでした。

少し、拍子抜けした感じで御影堂に入ります。こちらは間違いなく初めてでした。靴を脱いであがると、大広間の鑑真和上坐像の前には、座して焼香する人の列が幾重にもできていました。天平時代を代表する日本最古の肖像彫刻と云われ、高さはわずか80㎝ほどです。そして手前には、遠くから坐像と障壁画、襖絵をじっくり眺める大勢の人の姿がありました。東山魁夷画伯が実に10年以上の歳月をかけて描き上げたそうです。画伯らしい色鮮やかなブルーでした。順路は一方通行になっており、鑑真和上坐像を見たあとは、ぐるりとさらに障壁画と襖絵が続きます。墨一色で描かれた中国の風景まさに大作です。後世に語り告げられることでしょう。

御影堂を見たあと、次に向かったのが、開山堂です。こちらには、鑑真和上坐像のお身代わり像が7日から公開されているのです。本物より朱色が、色鮮やかな感じがしました。摸像なら、撮影はOKだと思っていましたが、残念ながら不可となっていました。
見たいものを見たので、あとは時間まで境内をゆっくり散策しました。金堂と講堂の内部をじっくり拝見、そして薬師如来像など多くの仏像を見ていると、時間はあっという間に無くなりました。しかし鑑真和上坐像とお身代わり像の両方をみることができてとてもありがたく感じました。このあと本日、最後の訪問地・赤膚焼の窯元を訪ねました。 

JR郡山駅のロータリーでバスを降りると、窯元の家の方が迎えにきてくださいました。本日、お邪魔するのは、七代目窯元の尾西楽斎の香柏窯です。駅から交通量の多い道路脇の歩道を数分ほど進むと窯元があります。中庭に入り当代から赤膚焼の歴史と特徴などを伺いました。「赤膚焼は、特徴がないのが特徴」との話が面白いと思いました。個人的には2度目の訪問となります。制作現場を見学したあと、いよいよお店で作品を見せていただきます。ほとんどに値札がついていないので、いくらするのか非常に興味あるところです。気に入ったものが見つかり、買おうかどうしようかと悩まれる方、早々と買い求める人、様々でした。正直、高額なのでじっくり時間をかけて吟味したいところですが、
団体行動なのでなかなかそうもいかないのがつらいところですね。こうして本日の予定をすべて終了しバスは帰途に着きました。井原に着いたのは、4時間後の午後8時過ぎでした。(おわり)



郡山らしい金魚の置物
コメント
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