但馬の旅その1 餘部鉄橋と大乗寺
久しぶりに温泉に行こうということになりました。行き先は、夢千代日記で知られる兵庫県の湯村温泉です。朝8時半ごろ自宅を出発。コースは、井原から岡山自動車道・賀陽ICで高速に乗り、中国自動車道・津山ICで高速を降り、国道53号線を北上、鳥取から国道9号線で湯村温泉という経路です。久しぶりに鳥取県まで来ましたが、以前に比べて道路も格段と整備され、時間も随分短縮された気がします。事前に調べておいた昼食予定場所・浜坂の渡辺水産直営のレストランには12時過ぎに到着しました。お値段のわりに随分ボリュームのある内容で大満足でした。
食事のあと、久しぶりに餘部橋梁を訪ねてみることにしました。前回訪れたのは、もう7.8年ぐらい前のことでしょうか。当然、当時はまだ鉄橋でした。山陰線餘部鉄橋は、明治の終わりごろに建設されたものですが、季節風や突風をまともに受ける場所に位置し、昭和の終わりには、列車の転落事故があって死傷者も出ました。約100年を経過し、老朽化もすすんで、ついに昨年、惜しまれながら鉄筋コンクリート製の橋梁に架け替えられたものです。長年、騒音や落下物に悩まされた地区の人々。この架け替えをどのように思われているのでしょうか。鉄橋はすべて撤去されたのかと思ったら、一部、観光用に残されていました。来年あたり整備されて、展望台になるそうです。
コンクリート製の橋梁に架け替えられた餘部橋梁
思えば、NHKのテレビドラマ「夢千代日記」の冒頭で、餘部鉄橋を渡る列車のシーン。一躍有名になりましたね。この地域の最大の観光スポットではなかったでしょうか。今回は、駅の上まで初めて登ってみることにしました。ところどころに貼られた「余部駅」への矢印の案内版。勾配がきつい山道を、休み休み歩いて登ると、一気に視界が開けてきます。この駅を毎日利用する人の大変さを思いました。実際に登り口付近にあったプレハブの駐輪用の車庫には2台の自転車がありました。鉄橋を解体した鉄骨が、敷地内にまだ残されているのが上から見えます。橋脚には、「日本ペイント・三度塗り」と書かれた銘板が張られていました。この高さでは保守も大変だったでしょう。さて駅近くになると、展望台(撮影用ポイントと表示)と駅とに道は分かれます。当然、展望台方面に進みます。息を切らしながらやっとたどり着くと、一組の中年の男女のカップルがいました。おそらく、電車が通るのを待っているのでしょう。写真に撮るのも、電車が写っているのとそうでないのとは随分見栄えが違いますからね。展望台付近から見る、橋梁と町並みと日本海は、最高の組み合わせ、まさに絶景です。電車が通れば最高なのですが、なんだか落ち着かないので、早々に降りることにしました。
山門横の樹齢1200年の楠
次に向かったのが、大乗寺というお寺です。別名、応挙寺とも云われる真言宗高野山派のお寺です。応挙寺の由来ですが、その昔、画家円山応挙がまだ修行中の身とき、その才能を見込んだこの寺の住職が学資を援助したことがありました。めでたく大成した応挙は、寺が新しく普請される折、その時のお礼として息子や弟子13人でやってきて障壁画を描き上げたものです。そのすべて165点が、現在、国の重要文化財に指定されています。
余部から、車で数15分ほどの場所。駐車場に車を停めると、山門には急な石段、このあたりは、どこか韓国慶州の仏国寺に似ていると思いました。立派な山門をくぐると左側に樹齢1200年といわれる大楠の木。幹は苔むしています。その横に数体の地蔵尊。そのうちの一体が、子どもを背負っていてとても微笑ましく思いました。境内はそう広くありません。客殿に入ると、下駄箱がありスリッパに履き替えます。一段高い番台のような感じで受付がありました。拝観料は800円、少々高めですが、これは仕方ないでしょう。
係の方が、客殿の廊下を巡りながら、各部屋の襖絵の説明をしてくれます。ただ、応挙のいくつかの襖絵は、デジタル再生画で展示されてり、実物は収蔵庫に大切に保管されているようです。しかし、その技術はすばらしく、まったく違和感はありませんでした。
その襖絵ですが、江戸中期の頃としては斬新な遠近法を取り入れており、見る角度で、その形が変わって見えることや、どこから見てもこちらを見ているように見える描き方、また明かりをうまく取り入れて、絵が金箔の上に浮かび上がって見えるとか、その技法と迫力にただただ感心することばかりでした。また絵の顔料が高価なものなのでしょうか、そのうちの何点かは約250年経過した今でも、まったく色落ちすることもなくきれいなことに驚きました。
絵をじっくり堪能したあと、客殿を出ると若い女性の係の方が境内をきれいにほうきで掃き清められていました。隅に咲くツワブキの黄色の花がとても印象的でした。
このあと、今日の宿、湯村温泉に向かいました。
久しぶりに温泉に行こうということになりました。行き先は、夢千代日記で知られる兵庫県の湯村温泉です。朝8時半ごろ自宅を出発。コースは、井原から岡山自動車道・賀陽ICで高速に乗り、中国自動車道・津山ICで高速を降り、国道53号線を北上、鳥取から国道9号線で湯村温泉という経路です。久しぶりに鳥取県まで来ましたが、以前に比べて道路も格段と整備され、時間も随分短縮された気がします。事前に調べておいた昼食予定場所・浜坂の渡辺水産直営のレストランには12時過ぎに到着しました。お値段のわりに随分ボリュームのある内容で大満足でした。
食事のあと、久しぶりに餘部橋梁を訪ねてみることにしました。前回訪れたのは、もう7.8年ぐらい前のことでしょうか。当然、当時はまだ鉄橋でした。山陰線餘部鉄橋は、明治の終わりごろに建設されたものですが、季節風や突風をまともに受ける場所に位置し、昭和の終わりには、列車の転落事故があって死傷者も出ました。約100年を経過し、老朽化もすすんで、ついに昨年、惜しまれながら鉄筋コンクリート製の橋梁に架け替えられたものです。長年、騒音や落下物に悩まされた地区の人々。この架け替えをどのように思われているのでしょうか。鉄橋はすべて撤去されたのかと思ったら、一部、観光用に残されていました。来年あたり整備されて、展望台になるそうです。
コンクリート製の橋梁に架け替えられた餘部橋梁
思えば、NHKのテレビドラマ「夢千代日記」の冒頭で、餘部鉄橋を渡る列車のシーン。一躍有名になりましたね。この地域の最大の観光スポットではなかったでしょうか。今回は、駅の上まで初めて登ってみることにしました。ところどころに貼られた「余部駅」への矢印の案内版。勾配がきつい山道を、休み休み歩いて登ると、一気に視界が開けてきます。この駅を毎日利用する人の大変さを思いました。実際に登り口付近にあったプレハブの駐輪用の車庫には2台の自転車がありました。鉄橋を解体した鉄骨が、敷地内にまだ残されているのが上から見えます。橋脚には、「日本ペイント・三度塗り」と書かれた銘板が張られていました。この高さでは保守も大変だったでしょう。さて駅近くになると、展望台(撮影用ポイントと表示)と駅とに道は分かれます。当然、展望台方面に進みます。息を切らしながらやっとたどり着くと、一組の中年の男女のカップルがいました。おそらく、電車が通るのを待っているのでしょう。写真に撮るのも、電車が写っているのとそうでないのとは随分見栄えが違いますからね。展望台付近から見る、橋梁と町並みと日本海は、最高の組み合わせ、まさに絶景です。電車が通れば最高なのですが、なんだか落ち着かないので、早々に降りることにしました。
山門横の樹齢1200年の楠
次に向かったのが、大乗寺というお寺です。別名、応挙寺とも云われる真言宗高野山派のお寺です。応挙寺の由来ですが、その昔、画家円山応挙がまだ修行中の身とき、その才能を見込んだこの寺の住職が学資を援助したことがありました。めでたく大成した応挙は、寺が新しく普請される折、その時のお礼として息子や弟子13人でやってきて障壁画を描き上げたものです。そのすべて165点が、現在、国の重要文化財に指定されています。
余部から、車で数15分ほどの場所。駐車場に車を停めると、山門には急な石段、このあたりは、どこか韓国慶州の仏国寺に似ていると思いました。立派な山門をくぐると左側に樹齢1200年といわれる大楠の木。幹は苔むしています。その横に数体の地蔵尊。そのうちの一体が、子どもを背負っていてとても微笑ましく思いました。境内はそう広くありません。客殿に入ると、下駄箱がありスリッパに履き替えます。一段高い番台のような感じで受付がありました。拝観料は800円、少々高めですが、これは仕方ないでしょう。
係の方が、客殿の廊下を巡りながら、各部屋の襖絵の説明をしてくれます。ただ、応挙のいくつかの襖絵は、デジタル再生画で展示されてり、実物は収蔵庫に大切に保管されているようです。しかし、その技術はすばらしく、まったく違和感はありませんでした。
その襖絵ですが、江戸中期の頃としては斬新な遠近法を取り入れており、見る角度で、その形が変わって見えることや、どこから見てもこちらを見ているように見える描き方、また明かりをうまく取り入れて、絵が金箔の上に浮かび上がって見えるとか、その技法と迫力にただただ感心することばかりでした。また絵の顔料が高価なものなのでしょうか、そのうちの何点かは約250年経過した今でも、まったく色落ちすることもなくきれいなことに驚きました。
絵をじっくり堪能したあと、客殿を出ると若い女性の係の方が境内をきれいにほうきで掃き清められていました。隅に咲くツワブキの黄色の花がとても印象的でした。
このあと、今日の宿、湯村温泉に向かいました。
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