ネコのミモロのJAPAN TRAVEL (Mimoro the cat:JAPAN TRAVEL)

「京都観光おもてなし大使」のライターとネコのミモロが、京都の情報や暮らし、グルメなどをご紹介。心和む雑誌のようなブログ

ミモロ旅番外編。シンガポールの歴史を学ぶ「シンガポール国立博物館」

2017-09-20 | 博物館・美術館

ミモロのシンガポール旅の締めくくりは、歴史を学ぶ「シンガポール国立博物館」です。
 
ここは、1887年にできたシンガポールで最も歴史ある博物館。ネオクラシカル様式の堂々とした建物で、エントランスは、起きなドームが迎えます。

ここでは、日本語ガイドのサービスもあり、時間をチェックして参加しました。
 ガイドさんの後について、ミュージアムツアーへ。

ミモロが一番興味を示した展示は、「シンガポールの歴史ギャラリー」です。


マレー半島の南端に位置するシンガポールの領土は、実は大きなひし形の本島と60以上の小さな島からできているのです。

すでに2世紀ごろから、人々が定住し、漁などをして暮らした漁村でした。


当時の雰囲気が体験できる展示もいろいろ。

定住した人々は、さまざまな手仕事なども盛んに行っていたのです。


島がいくつも点在する複雑な地形。そして、インド洋から太平洋に通じるマラッカ海峡と接続するシンガポール海峡は、海の交通の要所でもありました。「でも、そこは、海賊がたくさんいたんだって~」と資料を見たミモロ。



大航海時代以降、イギリスが東インド会社を拠点に東南アジアでの勢力拡大をはかり、シンガポールは、英国植民地となります。

英国人トーマス・ラッフルズは、無関税の自由港政策を推し進め、それにより盛んに、東南アジア、インド、オーストラリアなど、英国植民地の産品の貿易が行われることに。人口も急増し、町は拡大してゆきます。


一方、中国系の移民も多く暮らすシンガポール。現地のマレー系の人などさまざまな文化が複雑に存在する多民族国家としてルーツがこの時代から始まります。
 

交易産品の中には、アヘンもあり、これが人々を蝕む暗い時代も経験することに。
 

太平洋戦争がはじまり、そこを拠点にしていた英国軍は、日本陸軍の攻撃を受け、シンガポールは、「昭南島」と称され、日本軍の軍政下に置かれます。
「日本との間に、悲しい歴史があったんだ~」と、気持ちが落ち込むミモロです。


太平洋戦争後、シンガポール周辺の海には、攻撃を沈没した日本の軍艦などのマストが、まるで十字架のように海面から多数出ていたと言われます。「戦争ってなんのためにしたんだろ?」そう思わざるをえない悲しい歴史です。

戦後、シンガポールは、マレーシアのひとつの州に併合された時期も。

1965年、シンガポール共和国として独立。その初代首相は、建国の父と言われるリー・クアンユー氏です。

小国シンガポールにとって、生命線である水の供給は、マレーシアに依存していますが、日本から技術で、海水を淡水にする事業が進み、その依存比率は、低下傾向に…。

さて、現在、金融やIT事業が、シンガポールの強み。未来を担う子どもたちの教育に熱心な政府です。
英語も公用語のシンガポールは、世界を舞台に活躍できる人材の育成に励み、国家予算の20%が教育関連費に充てられているとか。世界的に高度な教育で知られる「シンガポール国立大学」など、次の時代を担う人材が多数育っているのです。

「日本人って、世界でも英語が不得意な民族らしいよ~」とミモロ。島国であり、ほかの言語を持つ民族との関係が希薄な長い歴史をもつ日本人。ミモロのようにおしゃべり大好きな性格だと、語学は早めに身に着きます。

博物館では、ほかの展示も観賞。


そして、その夜、日本に向けてシンガポール航空に。機内食をしっかり食べて、作ってもらったベッドで「おやすみなさい~」
 

「もうすぐ日本ですよ」と、笑顔で、やさしいキャビンアテンダントの皆さん。「お世話になりました」とミモロ。
 
快適なフライトを終え、無事に日本に…

「今回もすごく楽しかった~」と嬉しそうなミモロでした。




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