「うわ~」と一言発した後、しばらく言葉が出ないミモロ。目の前に現れたのは、まるでピラミッドのように続く230段の石段です。
ここは第122代明治天皇の陵墓の入口。伏見桃山陵は、約400年前に豊臣秀吉が隠居屋敷として築いた伏見城の跡地です。
うっそうとした森の参道を進むと、突如、この石段が現れます。その衝撃はすごいものがあります。
実は、京都の人の多くは、「明治天皇陵」の存在は知っているものの、実際訪れたことがある…という人はそれほど多くないのです。
「遠足で行った…」とか「近くに住んでいたから…」という人は別にして…。「そばを通ったことはあるけど…」と、ミモロも何度も近くまで訪れていたのですが、参拝したことはなかったのです。
残念ながら写真では、その迫力をお伝えすることができません。実際その場に立ってみないと…。
「ここ登るの…」と呆然と石段の前にたたずむミモロ。目の前に続く石段に怯みます。
「まさかこんな景色があったなんて~さぁ、頑張って登りましょ」と何度もそばに来ているお友達も夢中で撮影。
「う~待って~」と、必死に登るミモロ。
230段の石段は、幅も広く、本当にしっかりできています。途中には、20段ごとぐらいで踊り場があり、「万が一、足を滑らせても、そこで止まるよね~」と怖くて後ろが振り返れないミモロです。
「ふ~やっと上り切った~」と息を弾ませるミモロ。
実は、そこからは、京都の町が一望できる絶景が広がっているのですが、あまりに足ががくがくして撮影を忘れました。
そしてミモロの目の前には、堂々とした「明治天皇陵」の姿が現れました。
ここでも、しばし呆然とするミモロ。その迫力に圧倒されているようです。
歴代天皇の御陵の中で巨大な前方後円墳の「応神天皇陵」「仁徳天皇陵」の古代の陵墓以外で、これほど大きく、また威風堂々とした陵墓はほかにないのでは?
江戸時代から明治時代という近代国家になった日本のまさにトップに立たれた明治天皇。まさに神として国民に崇められた天皇でもあります。
在位なさった時代は、日本が近代化を急激に推し進め、日清、日露の大戦にも勝利し、そのパワーは拡大の一途。明治天皇は、陸海軍のトップにいらっしゃる絶対的な存在でした。その時代の天皇の陵墓は、絶大なパワーを象徴したものでなければならかなったはず…。
今回、御陵印めぐりをして、歴代天皇のことを知ると、明治天皇の在り方が歴史の中で浮かび上がってきました。
日本の歴史において、天皇の在り方は、まさに歴史を物語るものであることを実感します。
「明治天皇陵」に参拝し、続いて山続きに道を進みます。
参道の奥にあるのは、第50代桓武天皇の柏原陵です。
「さぁ、御陵印、頂きに行きましょう」と参拝を終え、ミモロたちは、「桃山陵墓監区事務所」へ向かいました。
「こんにちは~あの~御陵印頂きたいんですけど…」と職員の方にご挨拶。「はい、こちらへ~」壁際に木箱が…
蓋を開けていただくと、なかにズラリと御陵印が…。ここでは全29印を押印します。
ここには、第26代継体天皇をはじめ、第50代桓武天皇から第122代明治天皇まで、主に京都御所においでになった天皇の御陵印が並んでいます。
「う~29印もあるから、ちょっと大変…間違わないように…」と、ひとつひとつ慎重に押印します。
「孝明天皇と明治天皇の御陵印押せちゃった~」
隣りの空白のページは、東京にある大正天皇と昭和天皇の御陵印のスペースです。そこが押せるのは、かなり先になりそう。
職員の方にお礼を言って、事務所を後にします。押印は無料です。
そこから、最後に向かったのは、明治天皇の皇后である昭憲皇太后陵です。
「ここに参拝できて、よかったね~」とミモロ。
本当に美しい参道…落ち葉ひとつありません。聞こえるのは、風の音と小鳥のさえずり…。
お願いごとなどをする神社仏閣への参拝とは、異なる御陵参拝。それはただ日本の歴史を見つめる時間。
もちろんお賽銭箱もありません。(なぜか、敷地に10円玉などが投げられていたりもしますが…小銭を投げ入れるのは失礼です)
それぞれの時代を生きられた天皇の思いと向き合う参拝です。
「桃山陵墓監区事務所」京都市伏見区桃山町古城山 明治天皇伏見桃山陵敷地内 8:30~17:00 日曜・祝日休み
さぁ、次は、大阪と奈良をまわりましょう。
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