「わ~最終日になっちゃった~」と、ミモロが慌てて訪れたのは、10月24日まで「平安神宮」で開催されていた「時代祭衣装 特別公開」です。
この日は、「粟田神社」の「神幸祭」の日だったので、ミモロは、剣鉾の装束のままで…
「ここでやってるんだ~」と、境内の西側の建物へ。
よく「平安神宮」で開催されるイベントでも使われる建物で、そこには、さまざまな美しい装束や立派な甲冑が展示されていました。
時代祭は、明治28年、平安遷都1100年を記念して創建された「平安神宮」の祭事で、毎年京都の誕生日とされる10月22日、桓武天皇が平安遷都をなさった時期に行われますが、コロナの影響で、ここ2年間、神事などのみが行われ、「京都御所」から「平安神宮」への時代装束行列は中止されています。
そこで今年は、時代祭の行列の装束の特別公開が行われました。この時代祭の装束は、京都の伝統工芸の技術を動く歴史風俗絵巻として国内外に披露することを主眼とし、厳密な時代考証をもとに製作された「本物」なのです。京都三大祭の「葵祭」「祇園祭」と比べ、歴史的に浅いものの、その豪華な装束および約2000人が参加する大行列は、見るものを魅了してやみません。
ミモロは、その美しい装束をゆっくりと、近くで見てゆきます。「いつもの行列だと、こんなに近くで見れないもの…」と興味津々。
「さすが淀君さまの衣装、超豪華…」雅さで際立つ桃山時代を代表する装束。
こちらは、平安時代婦人列に登場する「百済王明信」の装束で、百済王氏の出身で、桓武天皇の信頼が厚い女官長の姿です。
梅の枝が添えられたのは、紀貫之の娘さんの平素の姿。
「あ、これわかる!」とミモロでもわかったのは、「静御前」の白拍子姿です。
甲冑も数点展示され、その中でミモロがよく知るのは、織田信長のもの。
そこに展示された写真は、ここに来る前に「粟田神社」の「神幸祭」であった崇敬会会長の前田さんの晴れ姿。
「時代祭って、信長も秀吉も登場するのに家康とか徳川家の将軍って登場しないんだよね~」と東京生まれのミモロはちょっと寂しいといつも思ってしまうのでした。「ホントに、京都で徳川家ってあんまり好かれていなかったのかなぁ~」と。う~いろいろな神社仏閣の建立や修理など、徳川家は多くの援助をしましたし、また御所に対しても、それなりの支援は行っています。
「まぁ、あんまり将軍さま、京都来なかったしね~」京都の人にとっては、江戸幕府の将軍の姿が見えてなかったのでは?
徳川幕府を代表する将軍名代の城使さまが乗られるとされる籠。
「これに乗って京都に来たの?」と中を覗きます。
「わ~狭い~ずっとここに座っている大変…閉所恐怖症になっちゃうかも…。ネコだって耐えられないかも…歩いた方が気持ちいいよね~」と庶民のミモロ。
「時代祭って、本当に豪華な行列なんだ~もう2年間も見てないんだ~」と懐かしむミモロ。
来年こそ、この装束を纏った人たちが歩く姿を見たい…そう思わずにはいられません。
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