「清々しい蓮がたくさん咲くお庭だね~」とミモロが訪れているのは、花園にある「法金剛院」。
国宝の阿弥陀如来を本尊とする律宗・唐招提寺に属する「法金剛院」は、多くの重要文化財の仏像などを有する花園にある寺院です。
宇治と共に、多くの貴族が山荘を構えたエリアで、ここも平安初期、右大臣 清原夏野の山荘で、多くの美しい花々で知られていたそう。その後、寺となり、平安時代後期には、荒廃した寺を鳥羽天皇の中宮の待賢門院璋子が、復興させ、晩年を過ごします。
寺には、大きな池をもつ「池泉回遊式浄土庭園」という信心深い璋子らしいお庭を作りました。
「蓮がいっぱいで、ホント…極楽浄土って感じだね~」とミモロ。
ミモロの頭には、蓮の池というと、芥川龍之介の「蜘蛛の糸」の話が浮かびます。仏様と深い関わりがあるのは、その原産地がインドということも。
蓮には、いろいろな色と種類があるそう。それを見て回るだけも、心鎮まるよう…
お庭の散策の前に、お寺の栗山さんが蓮のお話をしてくださいました。
「蓮は、4日間かけて、咲き始め、そして散るんです。1日は、ちょっと花が開き、そして閉じます。2日目は、1日目より花が開いて、湯飲み茶わんくらいに…そしてまた閉じます。3日目は、お椀くらい花を開かせ、そしてまた閉じます。この3日目が一番、蓮の花らしい形と思われているかも…。そして4日目は、花をお皿のように平らに開かせて、そして散ってゆきます」と。「へ~そうなんだ~。毎日、閉じるって、不思議だよね~」と思うミモロです。
「あ、これ、蓮の実だ~」それを乾燥させたものが、授与されていました。
蓮の池の周りを歩き、奥にある「青女の滝(せいじょのたき)」へ。
この滝は、平安時代後期に待賢門院璋子が、極楽浄土をイメージして造園した、その姿が残る貴重なもので「特別名勝」になっています。
なんでも池からこの滝を眺めた時、その姿がよく見えなかったため、石組の上にさらにもう1段巨石を組んで高さを上げた滝だそう。その石組のやり方は、エジプトのピラミッドのようで、その巧みさに驚くものがあることが、調査で判明しています。
「平安時代に、どうやって、こんな大きな石運んで、ここに置いたんだろう?」と不思議に思うミモロでした。
さて、今回、「法金剛院」には、「京都百人一首・かるた研究会」の「懇話と茶話会」に参加して伺い、庭園にある石碑では、ここにゆかりの深い待賢門院堀河の詠んだ和歌が刻まれています。
「待賢門院堀河って、中宮の待賢門院の事じゃないんだ~」と、同じような名前で混同していたミモロ。
待賢門院堀河は、崇徳上皇の母親である中宮の待賢門院璋子に仕えた歌人で、そのため、彼女も待賢門院と呼ばれたのです。いろいろ恋の歌を残し、西行とも親しかったそう。
「長からむ 心も知らず 黒髪の 乱れて今朝は 物をこそ思え」という石碑の歌を会の代表の河田さんがうたい上げ、その解説をしてくださいました。
平安時代は、恋する男性が女性の元に夜な夜な通い、朝まで過ごしていました。別れ際に、男性は女性に歌を送るのがエチケットで、この歌は、その男性の歌に対する返事になっています。
「あなたの心が変わるかもしれないと思うと、私の心は、黒髪のように乱れ、物思いに沈んでしまいます」という意味。
庭に咲く紫陽花が、そっと歌碑に寄り添っています。
さて、まだ紫陽花も美しい庭園…
7月は、蓮の花を愛でるよう拝観可能の「法金剛院」。
7:30~12:00という蓮が咲く時刻のみの拝観です。
ただ、ここは、京都十三仏第十番霊場・関西花の寺第十三番霊場で、その御朱印は、他の時期でもいただけます。
「暑い京都だけど、早朝ならまだ涼しいから、拝観おすすめ」とミモロ。
*「法金剛院」の詳しい情報はホームページで
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