34歳の結婚サギの女性のことがテレビや新聞に取り上げられている。報道を鵜呑みにすれば、「絶対に彼女がやった」ということになるが、毒物カレー事件もそうだったけれど、真犯人でなかったなら、マスコミはこんなにはやし立てて確信があるのかと思う。この女について、朝日新聞発行の週刊『AERA』までも「婚活サギ女の全人生」という特集を組んでいる。北海道の東部、人口よりも牛の数の方が多い酪農地帯でこの女は生まれ育ったとある。
女の祖父は「長く町会議員を務め、10年以上、議長のいすに座り続けた」という記述の仕方も意図的だ。「自宅1階にはグランドピアノがあり、母は4人の子ども全員にピアノを教えた」。「両親とも教育熱心。家族6人が一緒にいた時期には、とてもいい家族だった」。「やがて、両親が別居した。子どもたちは全員実家を後にし、一家は離散してしまう」。それが何時だったのか、記事にはない。高校を卒業した女は「東京の大手外食産業に就職。3年後に東洋大学経営学科に入学したものの、学費未納を理由に、1年で除籍されている」。
以上は週刊『AERA』の記事だが、女は結婚詐サギ師であり、周辺に変死者がいて怪しいと決めてかかっている割には論理的な展開に欠ける。逆に欠けていることが、犯人と想定して記事を書いていないということなのだろうか。どこのテレビだったか覚えていないが、「女は決して美人ではない」と言う。週刊『AERA』も「外見に派手さはまったくなかった。(略)化粧っ気はない。(略)小太りの女性」と書いている。
料理や菓子作りが得意で、美人ではないけれど世話好きで、話しているとホッとするような「優しい」女性であったのだろう。「被害者」はけっこう高齢である。いわば分別の出来る人たちであるはずだが、これは私の推測だけれど、「愛」に飢えていたのだと思う。男は意外に単純な動物で、自分を認めてくれる女性はみんな美人に見える。ちょっとした仕草がめちゃめちゃ可愛く見える。この女のためなら自分の財産の全てを捧げてもいいと思う。「私はそんな価値のある女ではないわよ」とか言われると、余計に可愛いと勝手に思ってしまう。
女がそんな男たちの単純さを見抜いた上で、男たちからお金を巻き上げていたとしたなら、「凄い女だ」と私は絶賛してしまう。もし、私に莫大な財産があり、仮にこの女に出会っていたなら、私も何も考えずに女のために全てを捧げてもよいと思う。たとえ、一時であったとしても、「愛」を感じさせてくれたことに満足すると思う。人は誠に単純だ。鳩山首相が所信表明演説で、「人間の究極の幸せは4つです。愛されること、ほめられること、役に立つこと、必要とされること」と言っていたが、その通りだろう。
愛されることくらい大きな幸せはない。必要とされるくらい大きな喜びはない。ほめられたり、役に立っていると言われたり、そんな言葉を受け取れば、女をこの上なくいとおしく思うだろう。私は、自分が女に生まれたなら、34歳の女のように生きてみたいと高校生の頃に思ったことがある。誠に罪深い。
女の祖父は「長く町会議員を務め、10年以上、議長のいすに座り続けた」という記述の仕方も意図的だ。「自宅1階にはグランドピアノがあり、母は4人の子ども全員にピアノを教えた」。「両親とも教育熱心。家族6人が一緒にいた時期には、とてもいい家族だった」。「やがて、両親が別居した。子どもたちは全員実家を後にし、一家は離散してしまう」。それが何時だったのか、記事にはない。高校を卒業した女は「東京の大手外食産業に就職。3年後に東洋大学経営学科に入学したものの、学費未納を理由に、1年で除籍されている」。
以上は週刊『AERA』の記事だが、女は結婚詐サギ師であり、周辺に変死者がいて怪しいと決めてかかっている割には論理的な展開に欠ける。逆に欠けていることが、犯人と想定して記事を書いていないということなのだろうか。どこのテレビだったか覚えていないが、「女は決して美人ではない」と言う。週刊『AERA』も「外見に派手さはまったくなかった。(略)化粧っ気はない。(略)小太りの女性」と書いている。
料理や菓子作りが得意で、美人ではないけれど世話好きで、話しているとホッとするような「優しい」女性であったのだろう。「被害者」はけっこう高齢である。いわば分別の出来る人たちであるはずだが、これは私の推測だけれど、「愛」に飢えていたのだと思う。男は意外に単純な動物で、自分を認めてくれる女性はみんな美人に見える。ちょっとした仕草がめちゃめちゃ可愛く見える。この女のためなら自分の財産の全てを捧げてもいいと思う。「私はそんな価値のある女ではないわよ」とか言われると、余計に可愛いと勝手に思ってしまう。
女がそんな男たちの単純さを見抜いた上で、男たちからお金を巻き上げていたとしたなら、「凄い女だ」と私は絶賛してしまう。もし、私に莫大な財産があり、仮にこの女に出会っていたなら、私も何も考えずに女のために全てを捧げてもよいと思う。たとえ、一時であったとしても、「愛」を感じさせてくれたことに満足すると思う。人は誠に単純だ。鳩山首相が所信表明演説で、「人間の究極の幸せは4つです。愛されること、ほめられること、役に立つこと、必要とされること」と言っていたが、その通りだろう。
愛されることくらい大きな幸せはない。必要とされるくらい大きな喜びはない。ほめられたり、役に立っていると言われたり、そんな言葉を受け取れば、女をこの上なくいとおしく思うだろう。私は、自分が女に生まれたなら、34歳の女のように生きてみたいと高校生の頃に思ったことがある。誠に罪深い。