友々素敵

人はなぜ生きるのか。それは生きているから。生きていることは素敵なことなのです。

“事業仕分け”に期待したい

2009年11月14日 21時56分26秒 | Weblog
 テレビで行政刷新会議による“事業仕分け”を見ていた70歳になる友人が、「政権が交代したと実感できた」と言っていた。「予算がどのように決まるのか、全く分らなかったが、ああやってみんなでワイワイやりながら決めていくのが本来の姿ではないか、そんな気がした」と。国の予算を担当する役人(官僚)だけで決めるのではなく、国会議員や国民の代表で決めていくのは確かに本来の姿であろう。

 けれども、“事業仕分け”は予算の全てについて行なっているわけではないし、しかも仕分けの台本が財務省から出ているということも気になる。それに、今回は民主党の選挙公約の実現という面が強調されすぎて、“事業仕分け”が目的のように扱われるのもおかしな気がする。そしてまた、民主党は功を焦りすぎている。もっとじっくりと時間をかけて“事業仕分け”に取り組むべきだろうか。

 それでも、こんな風に国民が予算作りに直接参加することは自民党政権ではなかった。国民にできるだけ公開して政治を行なうとする鳩山内閣の意気込みが感じられる。巷では、こうした民主党の手法は単なるプロパガンダと言う人もいる。そうした面がないわけではないが、国民が直接的に政治にかかわる手法は大事だと私は思っている。政治が時代とともに複雑化し高度化してしまったために、役人はどんどん国民から遠い存在となってしまった。それは役人が求めたことではなかったかもしれないが、そうなってみると役人には好都合だったのだ。

 私が住む田舎の町でも、「住民に公開して意見を聞いた方がいい」と言うと、「行政のプロである私たちが住民のために最上のこと(政策=サービス)をしているのに、それでは不満なのですか」と言った職員がいたし、「全てを公開などしたなら、収拾がつかなくなりますよ。住民というのは目先のことしか考えられないのですから」と真面目に答えた職員もいる。役人にとって、自分たちが熟慮を重ねたプランに異議を唱えられることほどの屈辱はないようだ。

 “事業仕分け”で説明する側に立った官僚は、仕分け人からいろいろ突っ込まれてかなり頭に来ている様子だった。テレビで映し出された仕分け人を見ると、以前に会ったことのある人が何人かいた。彼らは何もかも全てを廃止してしまおうとするような肝っ玉の小さな人間ではない。かつては行政のトップにいた彼らは、行政がいかに融通の利く仕組みであるかを知っている。官僚の中にもきっと、こんな無駄なことをしていていいのかと思っている人もいるはずだ。

 議員あるいは知事や首長から頼まれ、無駄な事業だなと思いながらも予算化して、恩義を売った官僚(役人)もいたはずだからだ。税金は所詮他人の金である。だから、どんな風に使おうと心までは痛くない。むしろそんなことで出世できたり、私腹を肥やすことができるならば、積極的に加担してしまうのが人間の常である。一度手を染めた人はますます厚顔になる。怖いよりも快感になるそうだ。こうして税金を食い物にする輩は増え続けた。

 “事業仕分け”がどんな成果を生むのか、しっかりと見極めていきたい。
コメント (1)
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