友々素敵

人はなぜ生きるのか。それは生きているから。生きていることは素敵なことなのです。

名演『静かな落日』

2009年11月13日 19時58分31秒 | Weblog
 広津和郎の名は聞いたことがあったが、何も知らなかった。「松川事件」という言葉が出てくると、なんとなく結びつくが、どのように「松川事件」にかかわったのか、恥ずかしいことだけれど全く知らない。今日の名演は劇団民芸の『静かな落日』で、この広津和郎とその父、そして娘の桃子を描いたものだった。

 舞台は『松川事件』に焦点を当てるという社会的な作品ではなく、和郎の生涯を淡々と見せていくものだった。初めの舞台は和郎と父の柳浪との会話だった。そのやり取りから広津家がどんな家庭なのかが想像できる。柳浪は尾崎紅葉と並ぶ作家であったようだが、40代で筆を折り、何をして暮らしているのだろうというような人で、息子の和郎に、「自分と同じように、まさかお前が女房を取り替えるとは」と言う。息子が新しい女性と生活を始めたのに、「他にはもういないか。力にはなれないが理解はできるぞ」と話す。

 その和郎は、パンフレットでは「愛してもいない母との間にふたりの子どもをもうけた」とある。愛してもいないとは勝手な解釈だろう。劇中でも和郎は娘に対して、「お前の母さんは決してヒステリーではなかった」と言うセリフがある。しかし、なぜ別居したのかは分らない。子どもたちは母親と一緒に暮らしているが、時々は父親に会いに来る。兄の方は「家が二つもあると自慢していた」と桃子は言う。兄が父と打ち溶け合って話をするのに、自分はなかなか話ができないことに桃子は父親との距離を感じている。

 桃子が一人前になり、父と話ができるようになる頃、日本は太平洋戦争へと突入していく。戦争に向かう国家に対して、桃子は「何もしない」父に、それが国民のすることなのかと非難する。けれど戦争が終わり、和郎の言った「戦争なんかしてはならない」ことが正しったと分ると、「何もしない」ことの重さを理解し、父親を見直すようになる。

 「松川事件」で逮捕された人たちの手記を読んだことから、マージャンやパチンコに明け暮れていた和郎の血に火がついた。62歳となっていた。桃子はそんな父の姿に、助手を買って出る。舞台では「松川事件」へのすさまじい取り組みは何も演じられなかったけれど、14年かかったものの全員無罪を勝ち取る。桃子は父親の偉業を実感する。そして、最後に「お父さん、好きよ」とつぶやく。

 祖父も父親もたくさんの女性を愛した。そんな父親を見て育った桃子は結局、結婚しなかった。和郎は桃子に「結婚しなくても子どもだけは作っておけばよかった」と言ったり、「自分の人生はプラスマイナスでゼロ」とも言って、桃子から「私がいるではありませんか」とたしなめられる。親と子の立場は逆転した。子が親の全てを許した瞬間だと思った。最後の桃子のセリフ、「お父さんが好き」には思わず涙が流れた。
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