中学3年生の孫娘の学校で、今日は合唱コンクールの発表会が行なわれる。同時に、選択科目の生徒たちが取り組んできた和太鼓や創作ダンスの発表、あるいは夏休みにやった家庭科や美術科の課題作品などの展示も行なわれる。孫娘はピアノの伴奏を受け持つので、9月から練習を重ねてきた。伴奏者を決める時に、音楽の先生から「最後まで弾けたならあの子(落ちた子のこと)の方がよかった」と言われたそうだ。孫娘の「演奏は感情がこもっていない」とも指摘された。孫娘は自分のピアノの先生から、「伴奏者は勝手に演奏してはダメ」と言われていることを忠実に守って演奏したようだけれど、音楽の先生には物足りなかったのだろう。
私も孫娘の演奏を聴くたびに、もう少し感情が入っていてもよいのではないかと思ってきたので、音楽の先生の指摘は正しいように思った。練習する孫娘に「この曲はどういう曲なの?」と聞いても、「わからん」とぶっきらぼうな答えが返ってくるばかりだ。「じゃー、どういうイメージなの?楽しいとか悲しいとか?」。「うーん、考えたことがない」。ある時、孫娘がピアノの練習をしていたので、「この曲からどんな風景が想像できる?」と聞いた時も、「何も想像できん」と言う。音符を正確にたたくだけでなく、たたいていると頭の中に何やら光景が浮んでくることはないのだろうか?
さて、いよいよ今日はその発表会である。何日か前に、孫娘の母親である長女は私に「6日はヒマ?」と聞いてきた。「昼から短歌教室があるけど」と答えると、「休めないの?」と言うから、「提出する作品は作ってあるから、教室の人にそれを持って行って休むとお願いしてくればいいけれど」と答える。それで、「何?どうするの?」と聞くと、生まれて4ヶ月になる下の孫娘を預かって欲しいというのである。カミさんは旅行でいないから、私がひとりで赤ん坊の面倒をみることになる。「ああ、いいよ」と答えたものの、どうなるのかなと思ったが、実際に赤ん坊を受け取るとスムーズに身体が動いた。ワァーン、ワァーンと泣く声を聞いても慌てずに「そうかね、そうかね」と言いながらおしめを取り替えてやることも出来た。
昼からはぐずって抱いてくれという(ような)目をするので、抱っこしているとそのうちに眠ってしまった。ところがせっかく眠っていたところに、長女から電話が入り目を覚ましてしまった。抱いたままでいればご機嫌はいいのでこのまま待つことにした。「すぐに向かうから」と言う割には遅いな。多分、待つ身はそんなものなのだろう。やっとダンナと2人でやってきた長女はドアを開けなり、「1番だったのよ。凄いでしょう」と言う。見事な演奏だったとも言う。「ビデオを撮ってきたから、明日の晩はみんなで見ようよ!」「じゃあ、お祝い会にしよう!」「それがいいですね!」ということになった。
まとまらないクラスだと嘆いていたけれど、やる時はやるじゃないか。中学3年ともなると、中学生活の最後という意識が働くのかな。私も中学3年が一番思い出深いけれど、そんな風に団結とか仲間意識とかが育っていくのだろう。まずはおめでとう。
私も孫娘の演奏を聴くたびに、もう少し感情が入っていてもよいのではないかと思ってきたので、音楽の先生の指摘は正しいように思った。練習する孫娘に「この曲はどういう曲なの?」と聞いても、「わからん」とぶっきらぼうな答えが返ってくるばかりだ。「じゃー、どういうイメージなの?楽しいとか悲しいとか?」。「うーん、考えたことがない」。ある時、孫娘がピアノの練習をしていたので、「この曲からどんな風景が想像できる?」と聞いた時も、「何も想像できん」と言う。音符を正確にたたくだけでなく、たたいていると頭の中に何やら光景が浮んでくることはないのだろうか?
さて、いよいよ今日はその発表会である。何日か前に、孫娘の母親である長女は私に「6日はヒマ?」と聞いてきた。「昼から短歌教室があるけど」と答えると、「休めないの?」と言うから、「提出する作品は作ってあるから、教室の人にそれを持って行って休むとお願いしてくればいいけれど」と答える。それで、「何?どうするの?」と聞くと、生まれて4ヶ月になる下の孫娘を預かって欲しいというのである。カミさんは旅行でいないから、私がひとりで赤ん坊の面倒をみることになる。「ああ、いいよ」と答えたものの、どうなるのかなと思ったが、実際に赤ん坊を受け取るとスムーズに身体が動いた。ワァーン、ワァーンと泣く声を聞いても慌てずに「そうかね、そうかね」と言いながらおしめを取り替えてやることも出来た。
昼からはぐずって抱いてくれという(ような)目をするので、抱っこしているとそのうちに眠ってしまった。ところがせっかく眠っていたところに、長女から電話が入り目を覚ましてしまった。抱いたままでいればご機嫌はいいのでこのまま待つことにした。「すぐに向かうから」と言う割には遅いな。多分、待つ身はそんなものなのだろう。やっとダンナと2人でやってきた長女はドアを開けなり、「1番だったのよ。凄いでしょう」と言う。見事な演奏だったとも言う。「ビデオを撮ってきたから、明日の晩はみんなで見ようよ!」「じゃあ、お祝い会にしよう!」「それがいいですね!」ということになった。
まとまらないクラスだと嘆いていたけれど、やる時はやるじゃないか。中学3年ともなると、中学生活の最後という意識が働くのかな。私も中学3年が一番思い出深いけれど、そんな風に団結とか仲間意識とかが育っていくのだろう。まずはおめでとう。