昨夜なのか今朝ほどなのか、夢を見ていた。寒くて、凍えていく。フトンの中にいるのに、どうしてこんなに寒いのだろう。凍え死んでいく時はこんな風なのだろうか。夢の中で「おおー寒い」と叫んだようで、カミさんが1枚フトンをかけてくれた。そこから再び眠ってしまったが、何か恐ろしい夢だった。今朝、やっぱり寒かった。鼻水が止まらない。身体がゾクゾクする。風邪の症状だ。朝ごはんを食べてから、またフトンに潜った。ところが一向に温まらない。足が冷たいままだ。それなのに、しばらくしたら眠っていた。眠りは浅く、足先が冷たいまま目が覚めた。
顔を洗い、髭を剃って、友だちに電話するけれど出かけているのか、電話には誰も出ない。仕方ないので、NPO「おたすけ」の経理事務をする。短歌教室の宿題である7首を作る。始めると面白くなってきて、ああでもないこうでもないとやっていた。これらを清書しているところへ長女夫婦が4ヶ月の孫娘を連れてやってきた。「コロッケ1個18円だったから買ってきた」とお土産も持ってきてくれた。代わりに奥三河のニワトリ肉の味噌漬けを持たせる。
ダンナは予防接種に連れて行った時、何人かの赤ちゃんがいたけれど、「うちの子が一番美人だった」と言う。赤ちゃんの美人というのはよく分らない。赤ん坊はいつか大きくなっていくと、顔つきもスタイルも変わっていくが、両親のDNAを超えていくことは滅多にないのではないか。教師をしていた時、母親から「うちの子に限って」とか「こんな成績では恥ずかしい」とか聞かされた。「お母さん、カエルの子はカエルですよ」とノドから出そうになるところを、「大丈夫ですよ。頑張っていますから、信じて応援してやってください」と言った。
中学3年の孫も、4ヶ月の孫も、女の子でよかったと思っている。男の子が生まれていたなら、またそれはそれで違うものかもしれないが、私は自分の子が生まれる時は女の子がいいと願っていた。どうしてそう思ったのかよくはわからないが、自分とそっくりな男が生まれることが怖かった。女の子ならば絶対に自分とは違う人間である。それだけでホッとする。女の子ならば人間として間違いを犯すこともないような気がするが、自分と同じような男の子はどうなっていくのか怖くてやりきれないように思えてしまったのだ。
私の友だちは自分の血が脈々と続いていくことを願っていたが、私はそうは思っていない。自分の血が受け継がれていくことが怖い。太宰治は自らの生に終止符を打ってしまったけれど、子どもはつくっているし、亡くなってしまった男の子にはとても期待していたところがある。どうしてそんな風にできるのか、私には不思議でならない。
私の父は祖父が起こした材木屋を継がなかった。本当はなりたかった小説家にはなれなかったが、小学校の校長になった。それで町議会議員を務めた祖父を乗り越えることができたのだろうか。私は教員、地域新聞の編集者、町議会議員を務めたけれど、父親を乗り越えられたのか、全く懐疑的だ。男の子は父親が当面の目標だろう。「オヤジのせなか」というけれど、そもそも子どもにとって、父親が何を大事に思い、何をしたかったのか、結局死ぬまで分らないような気がするが、それでいいじゃあないかと思えるようになった。
まだ、寒いしムカムカする。体調不良だ。今晩は早く休もう。
顔を洗い、髭を剃って、友だちに電話するけれど出かけているのか、電話には誰も出ない。仕方ないので、NPO「おたすけ」の経理事務をする。短歌教室の宿題である7首を作る。始めると面白くなってきて、ああでもないこうでもないとやっていた。これらを清書しているところへ長女夫婦が4ヶ月の孫娘を連れてやってきた。「コロッケ1個18円だったから買ってきた」とお土産も持ってきてくれた。代わりに奥三河のニワトリ肉の味噌漬けを持たせる。
ダンナは予防接種に連れて行った時、何人かの赤ちゃんがいたけれど、「うちの子が一番美人だった」と言う。赤ちゃんの美人というのはよく分らない。赤ん坊はいつか大きくなっていくと、顔つきもスタイルも変わっていくが、両親のDNAを超えていくことは滅多にないのではないか。教師をしていた時、母親から「うちの子に限って」とか「こんな成績では恥ずかしい」とか聞かされた。「お母さん、カエルの子はカエルですよ」とノドから出そうになるところを、「大丈夫ですよ。頑張っていますから、信じて応援してやってください」と言った。
中学3年の孫も、4ヶ月の孫も、女の子でよかったと思っている。男の子が生まれていたなら、またそれはそれで違うものかもしれないが、私は自分の子が生まれる時は女の子がいいと願っていた。どうしてそう思ったのかよくはわからないが、自分とそっくりな男が生まれることが怖かった。女の子ならば絶対に自分とは違う人間である。それだけでホッとする。女の子ならば人間として間違いを犯すこともないような気がするが、自分と同じような男の子はどうなっていくのか怖くてやりきれないように思えてしまったのだ。
私の友だちは自分の血が脈々と続いていくことを願っていたが、私はそうは思っていない。自分の血が受け継がれていくことが怖い。太宰治は自らの生に終止符を打ってしまったけれど、子どもはつくっているし、亡くなってしまった男の子にはとても期待していたところがある。どうしてそんな風にできるのか、私には不思議でならない。
私の父は祖父が起こした材木屋を継がなかった。本当はなりたかった小説家にはなれなかったが、小学校の校長になった。それで町議会議員を務めた祖父を乗り越えることができたのだろうか。私は教員、地域新聞の編集者、町議会議員を務めたけれど、父親を乗り越えられたのか、全く懐疑的だ。男の子は父親が当面の目標だろう。「オヤジのせなか」というけれど、そもそも子どもにとって、父親が何を大事に思い、何をしたかったのか、結局死ぬまで分らないような気がするが、それでいいじゃあないかと思えるようになった。
まだ、寒いしムカムカする。体調不良だ。今晩は早く休もう。