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友々素敵

人はなぜ生きるのか。それは生きているから。生きていることは素敵なことなのです。

ゴミ屋敷問題

2009年11月24日 20時27分52秒 | Weblog
 先日、NHKテレビで「ゴミ屋敷問題」を取り上げていた。私は議員だった時、自分の議会だよりを全戸配布するために、1軒ずつ郵便受けに入れて回った。私の町の中にも4軒の家が、足の踏み場もないくらいの「ゴミ屋敷」だった。夏はかなり悪臭が漂いとても生活できそうにないように思えたけれど、家の中の人はいっこうに構わない様子だった。

 テレビでもそうだったけれど、「ゴミ屋敷」の住人は男女を問わず、たいてい高齢のひとり暮らしである。いわば世間と隔絶したところで生きている。おそらく誰も尋ねてくる人がいないのだろう。ところが、マンションやアパートなど、1戸建てでないところでも、「ゴミ屋敷」は意外に多く存在するようだ。

 テレビで知る限りでは、公務員や会社員あるいは看護師の人もいた。こちらも男女の区別はないようだ。ただし、マンションやアパートの場合は若い人が多い。ビックリしたのは、医者の奥さんで、ゴミの中で子どもを育てていた。医者であるダンナの方は何とかしようとしたけれど、奥さんは「自分でもどうしようもないの。どんどん物が溜まってしまうの」と話していた。

 1戸建ての場合は、周りから目立ってしまい、ゴミ屋敷がよくわかる。高齢者が多いのは、地域とつながりがなく、明日への希望がないためのようだ。中学校の先生だった人は、子どもと暮らすために2所帯住宅まで建てたのに、子どもは来ず、そればかりか奥さんも出て行ってしまい、「何もする気がない」と言っていた。教え子がやってきて、「片付けを手伝います」と言うけれど、断ってしまう。ご近所に説得されて、家の周りのゴミは無くなったけれど、家の中はまだゴミが山のようにあった。

 「単にゴミを片付ければよいというわけではなく、引きこもりやホームレスと同じ社会問題」と解説していた。確かに明日の希望がなければ、きれいにしたいという気力もなくなっていくのだろう。子どもたちが来るわけでもなく、誰かが訪ねてくるわけでもなければ、ますます何もしたくなくなるのも無理はない。テレビでご近所の皆さんが全部片付けないのは、そうすることでつながりを残しておくためだと言っていたが、なるほどと思った。

 ところが今日、長女が「ちょっと手伝いに来てくれない」と言う。長女は高齢出産のせいなのか、大腿骨頭部萎縮症となって長い間歩けなかった。最近ではまだぎこちないとはいえ、松葉杖に頼ることなく短い距離なら歩けるようになった。そこで、家の中が気になるので片づけをしたいから手伝って欲しいというのである。

 ダンナは仕事人間だけれど、なかなか整理整頓が苦手のようだ。忙しいこともあるし、アイディアマンなので、思いつくとつい熱中してしまう。気が付けば周りにやたらと物が溢れていることになってしまうらしい。そこで、あちらこちらに置かれたものを必要な物とゴミとに区別してもらい、ゴミは燃えるもの、燃えないもの、プラスチックの3種類に分けて袋に詰めた。ダンボールだけでも4束もあった。ヤレヤレである。しかし疲れたなあー。
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