友々素敵

人はなぜ生きるのか。それは生きているから。生きていることは素敵なことなのです。

借金をいつまで続けるのか

2011年01月07日 19時01分43秒 | Weblog
 「あなたの好きなお肉があるから、後は適当にやって」とカミさんは言う。今日は彼女の昔の職場の人たちとの懇親会だ。かなり飲める女性がいて、5時間以上の長丁場になる。「この街に住んでいない若い人には気の毒だけど、本当によく付き合ってくれている」と若手を褒めるけれど、何の利害もなくなった今でも集まってくるのは楽しいからに他ならない。嫌々ならとっくの昔に理由をつけて来なくなっているはずだ。馬鹿なことを言い合い、笑ってすませる、そういう時間がたまにはあってもいいと思っているのだろう。

 すると今晩はひとりか。ワインでも飲みながらテレビでも見るか。金曜日は何をやっているのだろう。先ほど、証券会社から電話がかかってきた。「1千万円で90万円のご利息がつく、大変お値打ちな証券について、ご説明に参りたい」と言う。「この低金利時代にとてもよいお話ではございませんか」と畳み掛ける。さらに「ブラジルの国債でして‥」と、一方的に説明を始める。私は(電話をかける相手を間違えたね、お気の毒に)と思いながら、「全く興味がありませんので、失礼します」と言って電話を切った。受話器の向こうでなお声がしていたが、こうするより他にない。

 わが国は民主党政権となったのに、歳出の膨張を無くすと主張していたにもかかわらず、来年度予算案は戦後最大規模になるという。40兆円の税収に対して予算総額は90兆円で、不足分は国債で埋めるというものだ。私が議員の時、自治体の税収が減ってきていたので事業を減らせないかと職員と話したことがあった。「予算は住民の福祉に応えるもので、いずれ景気がよくなればこのほどの借金はすぐに返せる」と言う。税金は黙っていても入ってくる。自分で苦労して稼いだことがなく、いかに予算を使い切るかに腐心してきたので、税収が減ることへの危機感も運営する責任感もなかった。

 ではいったい、国債はどこまで発行し続けることができるのか。よく、わが国の個人金融資産は1400兆円ほどあると聞く。この金額までは大丈夫ということなのだろうか。その根拠も分からないが、いったいどこの誰がそんなに資産を持っているのだろうと思う。私たちのような年金暮らしの家に、先ほどのような電話がかかってくるということは、個人投資家とはこんな類を言うのだろうか。1千万といわずに2千万でも5千万でも、失ってもかまわない財産があればきっと投資する人もいるだろう。お金持ちはますますお金を貸すだけでお金が増えるが、我が家には持て余すお金などない。

 この先、国は国債を発行し続け、それでも思うように景気の回復が図れないとなるといったいどうなるのだろう。国債を買ってもらうためには国債の利回りをブラジル国債のように高くする。すると長期金利も上がる。利払い費は膨張し財政はますます悪化する。国の信用は下がり、国債は値下がりする。金融機関の損失は膨らみ破綻する。金融機関に投資したお金は返ってこない。お金がある人が失うだけですむなら、それでもいいかと思うけれど、お金がある人はそうさせないように政府に働きかけるから、結局、お金はないが数の多い国民がかぶることになっていくのだろう。
コメント
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