昨日、1歳半の孫娘が水疱瘡にかかり、入院することになった。幼児の入院となれば付き添いが必要である。「すぐに病院へ来て欲しい」と長女から電話が入り、私も一緒に病院へ駆けつけた。会って見ると比較的元気そうだったが、首筋から背中にかけて湿疹が出来ている。潜伏期間は2週間というがどこで感染してしまったのだろう。そういえば、風邪を引いて、風邪の菌がお腹に入り、便が出なくなって「イタイ!」と泣いていた時があった。「便の出はいい方ではないから」と長女は言うが、あんな風に1歳半の赤子がお腹を下にして「イタイ、イタイ」と言う姿は見たことがない。
愛想のいい孫娘で、誰にでも愛嬌を振りまいて可愛がられている。昨日も病気だというのに、お世話になる看護師さんに対し、「ありがとうは?」と孫娘に声をかけると、ベッドの上で布団にこすり付けるように頭を下げる。アタマ、メ、ハナ、クチ、アシなどは言葉を発して指差したりする。歌を歌えば、身体をひねってダンスも見せてくれる。ところが、突然にお腹を下にして「イタイ!イタイ!」と泣き出す。まるで火が着いたように泣き叫ぶので手に負えない。私が気になるのはあの大きなお腹だ。それもパンパンに張っていて硬い。
便は緑色の下痢状だと言う。長女は看護師でしかも幼児の専門家だから、彼女の判断に任せる以外ないとは思うけれど、単なる風邪や水疱瘡ではなく、他の病気が隠れているのかも知れない。猫を3匹飼っているけれど、猫から病気をもらうことはないのだろうか。猫は自分の毛がお腹に溜まって切開しなければならない症例もある。何事もなければいいが、専門家は意外と細かなところを見落とすものだ。赤子のうちは親の責任が大きいけれど、周りの大人も手助けしてやらなくてはならないだろう。
そんな1歳半の孫娘の入院騒動で結局、昨日はブログが出来なかった。そのかわりというもの変だけれど、高1の孫娘と久しぶりに一緒の時間があって、間近で見ると随分大人っぽくなっていることに驚かされた。背が低いからいつまでも子どものように思っていたけれど、顔の表情が女になってきていたし、話す内容ももうすっかり大人だ。「同じ高校の中で、何でも話せる友だちは出来た?」と聞くと、「何でも話せるってどういうこと?」と聞き返された。「何でも話せることが親友というわけじゃないんじゃない?」と逆に鋭く突いて来る。なるほど、いつまでも子どものように思っていたけれど、確実に大人の階段を登っている。容姿だけでなく、当たり前のことだけれど、心も育っている。
人にはいろんな人がいる。それを外見や印象だけで判断できないし、勝手に括りつけることは間違っている。自分に役立つから親友ではない。親友だから全てを話してもいい訳でもない。自分だっていろんな面を持っている。そんなことが分かってくると自然に親しい友が出来てくるような気がする。中学・高校時代はまさしくそんな時期だ。人は人無しでは生きていけない。まあそのうちに何とか生活していくでしょう。さてさて、私が孫たちに出来ることは何だろう。お年玉を弾むことくらいかなー。
愛想のいい孫娘で、誰にでも愛嬌を振りまいて可愛がられている。昨日も病気だというのに、お世話になる看護師さんに対し、「ありがとうは?」と孫娘に声をかけると、ベッドの上で布団にこすり付けるように頭を下げる。アタマ、メ、ハナ、クチ、アシなどは言葉を発して指差したりする。歌を歌えば、身体をひねってダンスも見せてくれる。ところが、突然にお腹を下にして「イタイ!イタイ!」と泣き出す。まるで火が着いたように泣き叫ぶので手に負えない。私が気になるのはあの大きなお腹だ。それもパンパンに張っていて硬い。
便は緑色の下痢状だと言う。長女は看護師でしかも幼児の専門家だから、彼女の判断に任せる以外ないとは思うけれど、単なる風邪や水疱瘡ではなく、他の病気が隠れているのかも知れない。猫を3匹飼っているけれど、猫から病気をもらうことはないのだろうか。猫は自分の毛がお腹に溜まって切開しなければならない症例もある。何事もなければいいが、専門家は意外と細かなところを見落とすものだ。赤子のうちは親の責任が大きいけれど、周りの大人も手助けしてやらなくてはならないだろう。
そんな1歳半の孫娘の入院騒動で結局、昨日はブログが出来なかった。そのかわりというもの変だけれど、高1の孫娘と久しぶりに一緒の時間があって、間近で見ると随分大人っぽくなっていることに驚かされた。背が低いからいつまでも子どものように思っていたけれど、顔の表情が女になってきていたし、話す内容ももうすっかり大人だ。「同じ高校の中で、何でも話せる友だちは出来た?」と聞くと、「何でも話せるってどういうこと?」と聞き返された。「何でも話せることが親友というわけじゃないんじゃない?」と逆に鋭く突いて来る。なるほど、いつまでも子どものように思っていたけれど、確実に大人の階段を登っている。容姿だけでなく、当たり前のことだけれど、心も育っている。
人にはいろんな人がいる。それを外見や印象だけで判断できないし、勝手に括りつけることは間違っている。自分に役立つから親友ではない。親友だから全てを話してもいい訳でもない。自分だっていろんな面を持っている。そんなことが分かってくると自然に親しい友が出来てくるような気がする。中学・高校時代はまさしくそんな時期だ。人は人無しでは生きていけない。まあそのうちに何とか生活していくでしょう。さてさて、私が孫たちに出来ることは何だろう。お年玉を弾むことくらいかなー。