友々素敵

人はなぜ生きるのか。それは生きているから。生きていることは素敵なことなのです。

ダメだと言う前に

2011年01月09日 19時11分01秒 | Weblog
 1月7日付けの朝日新聞1面に『16歳市長「まち」変えた』という大見出しの記事があった。日本では被選挙権は25歳からだからどういうことかと思って読むと、こどものまちの市長だとある。この記事は、朝日新聞も「まちを変える」のは市長だと考えているということである。ましてや市民いや多くの人が「変える」のは首長だと思っている。国会と違って、地方は2元代表制で、首長の権限はきわめて大きい。首長は予算の提案権と執行権それに職員の人事権を握っている。議会は調査し審議し決議できる。近頃では議員提案もされるようになったが、予算や人事については否決できても提案できない。

 それに日常的な業務について、首長はトップとして職員に命令することができる。予算にかかわらない業務やあるいは広報活動を通して、首長は直接市民に自分の思いを伝えることもできる。「役所が変わったね」というのもトップの姿勢が反映されるからだ。議員は自費で、自分の思いや政策をペーパーや街頭演説で市民に伝えるけれど、首長の影響力とは比較にならないだろう。だからどうしても、河村市長や橋下知事のような個性の強いというか押しの強い首長に人気が集まることになる。これまでならば、議会もこういう首長を讃え、一緒になって甘い蜜を吸ってきた。宮崎県の東国原前知事が議会とのトラブルがなかったのはそのためであろう。

 河村市長や橋下知事は、議会や職員にとって不利益なことを実行しようとするから対立が生まれた。それならば議会を味方にするため自分を支持してくれる議員を作ろうという。河村市長がこれまでの市長の殻に留まっていたなら、オール与党の議会はシャンシャンで終わっていたはずだ。ほとんどセレモニーで真面目に審議しないというのが地方議会の特徴だ。発言時間や回数に制限を設け、議会で発言するのは「力のない議員」と平然と言ってのけていた。そんな議員に高額の報酬が支払われていいはずがない。

 河村市長が「10%減税がなければ、行政改革は進まない」というのも一理あると私は思った。減税すればサービスは低下すると批判するけれど、河村市長は「低下させない」と言うのだから、これを必ず守るようにさせればよいではないか。自治体の事業を本当に仕分けするにはこれくらいのことが必要だろう。10%減税のためには議員はもちろん職員も身を削ればいい。あまりにも太りすぎた。行政は何をすることなのか、洗い直すよい機会ではないか。議員も職員も数を減らしたら停滞してしまうと心配するけれど、それでは現状維持になってしまう。

 新しいものを造ろうという時に、古いものをそのままにしておくことはできない。スクラップ アンド ビルド!8日の集会で山口二郎さんは「民主政治はすっきりしないものだ」と言い、「常に造っては壊し、造っては壊してきた」と言った。これでいいというものはない。無限に繰り返す永久革命が民主主義なのだろう。石田芳弘さんは「減税は危険な政策です。行政そのものの死を意味します」と言うが、そもそも税はどういうものでどう使われるべきものなのか、こんなに税を集めることが必要なのか、それとももっと集めた方がよりよい社会を作ることになるのか、ダメだと言う前に考える良い機会だろう。
コメント
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