「あの人は特別なお方、人には見えないものが見える、人には聞こえないものが聞こえる」と利休は信長についてお江にこう話す。利休は柴田勝家と同じくらいの歳だから、この時は何歳だったのだろう。「本能寺の変」で信長が命を断ったのは48歳と言われている。勝家は信長よりも12歳年上である。お江はまだほんの子ども、おそらく10歳になっていないのではないか。物語だから、そんな細かいことを言わなくてもいい、誰がどのような人物で、何をしたのか、その全体のストーリーの中で作者の言いたいことを考えればいい。確かにそう思うけれど、歴史劇を見るとどうしても私は、それは何歳の時だったのかと考えてしまう。人の年齢には大きな意味があるように思うからだ。
昨年のNHK大河ドラマ『坂本竜馬伝』は面白かった。岩崎弥太郎が本当にあんな人物だったのか、坂本竜馬はあんなにも格好よかったのか、そういう点では異論はあってもそれは作者の解釈だからいいと言い切れる。けれども、坂本竜馬が「みんなが笑って暮らせる国を作る」と言った時は、これは民主党のためのドラマだと思った。坂本竜馬にしても西郷吉之助にしても、外様大名の下級武士でしかない。武士社会では最も底辺に位置していた者たちだ。幕府を倒す、うまくいけば自分たちが主導権を取れるかもしれない。それは思っていたであろうけれど、主君までも超える存在になることまでは考えていなかったであろう。
それもまあ大目に見ていい。私がこういう歴史ドラマを見ていて一番気になるのは、この人とこの人はどれくらい歳が違うのだろうということだ。信長と秀吉は3つ違いで秀吉が年下である。秀吉は18歳の時に信長に仕える決心をした。信長にとっては幼い頃からの仲間ではないけれど、なかなか気の利くよい家来であったはずだ。信長が足利義昭を奉じて上洛するのは34歳の時である。秀吉は31歳、徳川家康にいたっては23歳である。大河ドラマ『お江』はこの辺りから始まっているが、信長や秀吉よりもはるかに年下の徳川家康が一番年上の人なのは納得いかない。ドラマを作った演出家が人物関係を把握していないということなのだろうか。
ドラマの初めのころに信長が秀吉を家来の面前でぶん殴るシーンがあった。確かに信長は気が短くて怒りっぽかったようだけれど、人の扱いがうまかったからこそ天下人になったはずだ。こんな風に自らが相手を傷つけるような行為はなかったのではないかと思う。このように描くことで信長がどのような人物であったのか、作者の思いを伝えたかったのであろう。それは取りも直さず、主人公「お江」が、これから何を考え、どうのように生きていくのかにかかわることなのだから。お江があまりにも現代っぽいとしても、そうすることで人の生き方あるいはものの考え方を今日の私たちの問題意識から捉えることが出来るからだろう。
今のところは違和感が先走るけれど、これからドラマは佳境へと入っていく。主人公のお江と茶々と初の3人姉妹がどんな運命を辿るのか、後世の私たちはわかっているのだが、その上で彼女たちがどのように考えて生きていったのか、それこそが脚本家や演出家の言いたいことなのだと思う。
昨年のNHK大河ドラマ『坂本竜馬伝』は面白かった。岩崎弥太郎が本当にあんな人物だったのか、坂本竜馬はあんなにも格好よかったのか、そういう点では異論はあってもそれは作者の解釈だからいいと言い切れる。けれども、坂本竜馬が「みんなが笑って暮らせる国を作る」と言った時は、これは民主党のためのドラマだと思った。坂本竜馬にしても西郷吉之助にしても、外様大名の下級武士でしかない。武士社会では最も底辺に位置していた者たちだ。幕府を倒す、うまくいけば自分たちが主導権を取れるかもしれない。それは思っていたであろうけれど、主君までも超える存在になることまでは考えていなかったであろう。
それもまあ大目に見ていい。私がこういう歴史ドラマを見ていて一番気になるのは、この人とこの人はどれくらい歳が違うのだろうということだ。信長と秀吉は3つ違いで秀吉が年下である。秀吉は18歳の時に信長に仕える決心をした。信長にとっては幼い頃からの仲間ではないけれど、なかなか気の利くよい家来であったはずだ。信長が足利義昭を奉じて上洛するのは34歳の時である。秀吉は31歳、徳川家康にいたっては23歳である。大河ドラマ『お江』はこの辺りから始まっているが、信長や秀吉よりもはるかに年下の徳川家康が一番年上の人なのは納得いかない。ドラマを作った演出家が人物関係を把握していないということなのだろうか。
ドラマの初めのころに信長が秀吉を家来の面前でぶん殴るシーンがあった。確かに信長は気が短くて怒りっぽかったようだけれど、人の扱いがうまかったからこそ天下人になったはずだ。こんな風に自らが相手を傷つけるような行為はなかったのではないかと思う。このように描くことで信長がどのような人物であったのか、作者の思いを伝えたかったのであろう。それは取りも直さず、主人公「お江」が、これから何を考え、どうのように生きていくのかにかかわることなのだから。お江があまりにも現代っぽいとしても、そうすることで人の生き方あるいはものの考え方を今日の私たちの問題意識から捉えることが出来るからだろう。
今のところは違和感が先走るけれど、これからドラマは佳境へと入っていく。主人公のお江と茶々と初の3人姉妹がどんな運命を辿るのか、後世の私たちはわかっているのだが、その上で彼女たちがどのように考えて生きていったのか、それこそが脚本家や演出家の言いたいことなのだと思う。