友々素敵

人はなぜ生きるのか。それは生きているから。生きていることは素敵なことなのです。

演歌はやっぱり艶歌だと思う

2011年01月25日 22時02分05秒 | Weblog
 1月生まれには色白の人が多いと言うけれど、それはたまたまそういう人に出会ったということだろう。雪のように白い肌という表現もあるけれど、雪の多い1月に生まれた子はみんな色白というわけでもあるまい。しかし、別に私の長女を指して言うわけではないけれど、私の出会った1月生まれの女性はみんな色白だ。「色のしろきは七難隠す」と言うのも、色白なら他は目をつぶるということだろう。それくらい色白の女性は男たちの目を引く存在なのだ。

 もっと別のテーマを考えていたのに、お酒を飲みながら食事をしたら、いったい何を考えていたのだろうと思うくらい、さっぱり思い出せない。遠くなった昔のことは比較的覚えているのに、1時間前のことを忘れてしまうと私の友だちもよく言う。私に言わせれば、遠い昔のことだって本当に分刻みで覚えているかとならば実はそうではないはずだ。1時間前のことを忘れてしまったという焦りから、昔のことなら覚えているのにと言っているのに過ぎないように思う。人はいつも過ぎ去ったことなど、細かく覚えてはいないものなのだ。

 大事なことは分刻みのことではなくて、大まかな意味だと思う。分刻みのことなど覚えているような人は天才か鬼才だろう。それでも、昭和50年代の演歌を聞くと、実際はどこで聞いたのだろうと思うほどそんな機会はなかったはずなのに、何故か分からないけれど懐かしい気がする。八代亜紀さんの『舟歌』も北原ミレイさんの『石狩挽歌』も奥村チヨさんの『最終駅』も、よく覚えている。我が家にテレビはあったけれど、カミさんは歌謡番組が好きではなかったから、見ていることはない気がするし、そんな時間に家にいたのだろうかとさえ思う。

 この3つの歌はどれも投げやりで寂しさが漂っているし、何よりも挫折感に満ちている。70年安保闘争は学生たちの実力闘争であったけれど、それをテレビで見ていた人々が受けた印象は虚しさではなかっただろうか。角材を振り回していた学生たちは、私たちが子どもの頃にしていたチャンバラと同じように子どもじみた高揚感があったのだろうけれど、60年安保を体験した先輩たちは「戦いの時代の終焉」を感じ取っていたのかも知れない。この3つの歌に流れるやりきれなさはそれを象徴しているのではないだろうか。

 愛する人を心底から徹底的に愛しているのに、それでもなお他の人に心が動いていってしまう。人の弱さというか、強欲さというか、計り知れなさがあるのが人なのだろう。そうして人は悩みながら生きていく。この儚さと自己矛盾こそ演歌の主題になるものだ。今、演歌よりもポップス調のあるいはフォーク調の歌がヒットしているのは、もっと素直に自分の心に向き合おうとする動きなのかも知れない。昭和50年代の演歌の寂しさもいいけれど、最近の歌は私のような者が聞いても、いいなーと思うものが多い。歌の作り方がうまくなっただけでなく、歌詞もとてもいいと思う。何故なのか、長女のダンナにそのわけを聞いてみようと思っている。
コメント (1)
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