年末年始にかけて、咳が出て、鼻が詰まる状態が続いた。急に冷え込んだので風邪を引いたのかなと思った。それで毛布を出してきたところ、やはり暖かくゆっくりと寝られるようになった。ところが今度は、眠っているのに目が痒くてたまらない。おかしい。まだ花粉は飛んでいないのに花粉症なのかと疑ってみたが、この目の痒みは間違いなく花粉症である。以前、眼科でいただいた目薬を差してみると痒みが押さえられるから、花粉症であることは間違いないようだ。すると、このアレルギー反応は毛布の中のホコリにあるのかも知れない。だったら花粉症などと言わずにアレルギー性眼炎と呼ぶべきではないだろうか。
こんなどうでもいいような屁理屈を寒さの中で考えていた。今日はとても冷えた。マイナス2.7度だったという。友だちが「寒さが厳しいようだけれど、井戸掘りの試し掘りはやるのか」とメールしてくるほど寒い日だった。けれども実際は風がなかったので、作業する上ではそれほどの問題はなかった。長靴のつま先から痛くなるような冷たさが伝わってくるが、身体の方は動かせばすぐに暖かくなる。鉄管を握った時は凍りつきそうだったけれど、作業が始まればそんなことも忘れて動き回る。しかし、今回も15キロ近い鋼管を使っても以前と同じように掘り進む感触はなかった。
それではと鏃のような鋼管を突き刺し、これを繋いでいき、上から錘をつけて叩き込む。何度もこれを繰り返すと幾らかずつでも鋼管は下へと入っていく。この土地ではこの工法しかないのだろうか、そんな議論をしながらも何度もやってみる。上総掘りまがいでやってみたけれど、どうしてうまくいかなくて、鉄管の打ち込みならば入っていく。みんなが不思議に思い、いろいろと話し合ってみるけれども結論には至らない。「あのなあー、女も一緒だ。見た目だけでは分からん。こうなったら徹底的にやってみるしかない」と言うけれど、何が女と一緒で、何を徹底的にやるのか、さっぱりわからないが、どういうわけか、みんなが納得する。その挙句に、「ここでひとつ気合を入れる必要があると思うがどうだ」という提案があった。
そんなこんなで結局は、次回の作業の後で新年会を行い、悲願成就を願おうということになった。何のことはない、一杯飲んで、心を新たにして出直そうと言うのである。こういう提案にうるさい議論好きの面々も直ちに賛成に回る。ここが名古屋市議会とは異なる私たちの理性である。確かにいろいろと意見は異なるけれど、原点に戻って考えてみようということでは私たちの方が名古屋市議会よりも優れているのかもしれない。飛躍するけれど、先日、我が家に遊びに来てくれた卒業生のひとりも河村市長に当選してもらいたいと言っていたが、たとえ当選しても僅差だろうと私は思っている。
むしろ河村市長が立ち上げた減税日本党(?)からどれだけの人が当選できるだろうと冷ややかに見ている。市議選となればやはりまだまだ地域意識が強く働くのではないだろうか。あの人にはお世話になっているなどということで、地域エゴが優先される。首長では「変革」を求めた市民も地域では、理想よりも現実を優先させてしまうのがこれまでの傾向だった。果たして名古屋だけが違う選択ができるのだろうか。そんなこんなで今日の試し掘りは不完全燃焼に終わった。
こんなどうでもいいような屁理屈を寒さの中で考えていた。今日はとても冷えた。マイナス2.7度だったという。友だちが「寒さが厳しいようだけれど、井戸掘りの試し掘りはやるのか」とメールしてくるほど寒い日だった。けれども実際は風がなかったので、作業する上ではそれほどの問題はなかった。長靴のつま先から痛くなるような冷たさが伝わってくるが、身体の方は動かせばすぐに暖かくなる。鉄管を握った時は凍りつきそうだったけれど、作業が始まればそんなことも忘れて動き回る。しかし、今回も15キロ近い鋼管を使っても以前と同じように掘り進む感触はなかった。
それではと鏃のような鋼管を突き刺し、これを繋いでいき、上から錘をつけて叩き込む。何度もこれを繰り返すと幾らかずつでも鋼管は下へと入っていく。この土地ではこの工法しかないのだろうか、そんな議論をしながらも何度もやってみる。上総掘りまがいでやってみたけれど、どうしてうまくいかなくて、鉄管の打ち込みならば入っていく。みんなが不思議に思い、いろいろと話し合ってみるけれども結論には至らない。「あのなあー、女も一緒だ。見た目だけでは分からん。こうなったら徹底的にやってみるしかない」と言うけれど、何が女と一緒で、何を徹底的にやるのか、さっぱりわからないが、どういうわけか、みんなが納得する。その挙句に、「ここでひとつ気合を入れる必要があると思うがどうだ」という提案があった。
そんなこんなで結局は、次回の作業の後で新年会を行い、悲願成就を願おうということになった。何のことはない、一杯飲んで、心を新たにして出直そうと言うのである。こういう提案にうるさい議論好きの面々も直ちに賛成に回る。ここが名古屋市議会とは異なる私たちの理性である。確かにいろいろと意見は異なるけれど、原点に戻って考えてみようということでは私たちの方が名古屋市議会よりも優れているのかもしれない。飛躍するけれど、先日、我が家に遊びに来てくれた卒業生のひとりも河村市長に当選してもらいたいと言っていたが、たとえ当選しても僅差だろうと私は思っている。
むしろ河村市長が立ち上げた減税日本党(?)からどれだけの人が当選できるだろうと冷ややかに見ている。市議選となればやはりまだまだ地域意識が強く働くのではないだろうか。あの人にはお世話になっているなどということで、地域エゴが優先される。首長では「変革」を求めた市民も地域では、理想よりも現実を優先させてしまうのがこれまでの傾向だった。果たして名古屋だけが違う選択ができるのだろうか。そんなこんなで今日の試し掘りは不完全燃焼に終わった。