友々素敵

人はなぜ生きるのか。それは生きているから。生きていることは素敵なことなのです。

『これでいいのか、河村市政』

2011年01月08日 22時12分45秒 | Weblog
 名古屋駅前の国際センターホールで行なわれたシンポジウム『これでいいのか、河村市政』に行ってきた。私に始めて選挙を教えてくれた人が呼びかけ人だった。この人のおかげで政治家の道を10年ほど歩むことができた、その出発点となった人である。しかも、この人が参議院議員の秘書を辞めてしまわなければ、私は秘書となって国会を見ることもなかった。15年前と変わらなかったけれど、以前よりは少しふっくらしていた。

 基調講演を北海道大学の山口二郎さんが行なった。山口さんは名古屋市の河村市長や大阪府の橋下知事の政治手法はポピュリズムだと批判してきた。既成政党はダメだと政権交代に期待したけれど、民主党もダメかと幻滅した人々のエネルギーが河村市長や橋下知事を誕生させたと分析する。強い指導者を待望するのは、民主主義が機能不全に陥っていることの表れで、議論の省略と白紙委任が横行することになる。議会や公務員をないがしろにすることは、天に向かって唾を吐く行為で、結局は自分たちを苦しめることになると話す。

 小泉首相の「郵政民営化」「自民党をぶっ潰す」、民主党の「コンクリートから人へ」「官僚政治をなくし政治主導で」、河村さんの「10%減税するでよ」も同じスタイルだ。いみじくも会場で発言した市長候補の石田芳弘さんが政治理念を述べた後で、「これでは票にならないので」有権者が飛びつくような政策を掲げないと勝てないと話したが、詰まるところ選挙で勝つということはそういうレベルだということだろう。

 山口さんの話を聞いて、おやっと思うことが2点あった。1つは、政治とは具体的な課題を解決していくことで、政府や自治体に力を預けて解決していくことが政治である。ここまではそのとおりだと思うけれど、河村市長や橋下知事のように議会と対立すればできるものではなく、「その気になればすぐできる」と言う点である。戦後長い間、自民党政権が続き、政治家と官僚が癒着して蜜を吸う構造が出来上がった。だから2大政党にすれば、常に緊張感があって腐敗は防げるという論理が生まれ、民主党政権が誕生した。けれど、民主党政権は全く期待に応えられない。国民が望む政治ができないのは根本的なところに問題があるのであって、「その気になればできる」のではないと私は思う。

 2つ目は、議会や公務員をないがしろにすることは「天に向かって唾を吐く行為」という点だ。ここでも山口さんはこれまでの議会や公務員の実態を見ていない。「専門家(公務員)を否定して何が生まれてくるのか」と言い、「悪い奴はいるけれど全てが悪いわけではない」と言うように、現状を擁護してしまっている。これでは議会の根本へあるいはあるべき公務員へ掘り下げることはできない。政治は具体的な問題を解決することにあるけれど、その制度が本当に市民のために作用しているかだと思う。

 専制君主であっても、言葉では国民のためだと言ってきた。ヒットラーやムッソリーニだって、日本の軍部であっても、私利私欲のためだと誰も言わなかった。政治家は誰もが国民のため市民のためと口にするが、本当にそうなのか、それを批判し判断できる仕組みこそが大事ではないだろうか。
コメント
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