友々素敵

人はなぜ生きるのか。それは生きているから。生きていることは素敵なことなのです。

名演『出番を待ちながら』

2011年01月20日 19時22分40秒 | Weblog
 人は誰もが華やかな過去を背負って生きている。いや、自分の過去ほど惨めなものはないと言う人もいるが、その人にも光が当たっていた時があった。本当に絶望していたなら、命を断っていたことだろう。日本では毎年3万人以上の人が自殺している。その多くは貧困からだと言うし、子どもの自殺の原因はいじめだそうだ。いじめている側は意識していなくても、いじめられている側は絶望してしまうところに辛さがある。子どもの自殺を阻止するには、周りの大人のちょっとした気遣いだと思う。一番子どもと接している教師が、そして何よりも父母が、子どもをよく見ていれば異変に気付くはずだ。

 人間はたくましいから、何度も絶望してもまた元気を取り戻す。誰だって自分から死にたいとは思わない。しかし、明日に希望がなければ命を断って楽になりたいと考えるだろう。年寄りの自殺も多いけれど、年を重ねるとこんな程度ならいつものことだと思うようになる。今死んでも、明日死んでも同じなら、今は止めておこう。ひょっとすると明日はよいことが起きるかも知れない。だから明日のことは分からないから生きていけるとも言える。そこが子どもと年寄りとの差なのかも知れない。明日は明日の風に任せられる。それが年寄りのよいところでもあるのだ。

 イギリスの片田舎にある老人ホーム。ここにはかつて華やかな脚光を浴びた女優たちが暮らしている。ミュージカル女優やソプラノ歌手やシェイクスピア女優や映画女優など、現役時代の地位や名声にこだわりながら生きている。新しくホームにやって来たロッタと前からいるメイはもう30年も口を利かない不仲であるが、その原因が次第に分かってくる。ロッタはメイの夫だった男と結婚したので、プライドの高いメイには絶対に許せない相手なのだ。ところが、メイの夫はロッタと結婚する前に若い女性と恋をしていた。そのことからふたりは心を許す友だちへと変わっていく。

 そんなロッタのところに、彼女が最初に結婚して分かれた男との間に生まれた息子がやって来て、「妻もとても心配している。一緒に住もう」と迎えに来る。しかし、彼女はその申し出を断ってしまう。年老いた者がどのような気持ちで生きていったらよいのか、どのような老いを受け入れていったらよいのか、今日の名演『出番を待ちながら』はそんなことをテーマにしていた。いくら華やかな女優であっても、もう出番はない。あるのは神様からのお招きだけだ。女優でなくても、人は誰でも精一杯に生きてきて今日に至っている。

 舞台で歌われたように、「可愛いお嬢さん、結婚しましょう」と大はしゃぎしたり、今は寝たきりの大女優のもとにいつもスミレの花束を持って見舞いに来る老人の一途さを、「ああいう人と結婚したかった」と言って笑い合うが、きっと本音だろう。明るく素直で気品に満ち、女優たちは最後の出番に備えているようだ。「隠居は早すぎますよ」と叱られたけれど、ああ、私も最後まで自分をぶつけて生きていくつもりだ。若い世代に道を譲るが、自分を押し殺すつもりは全くない。
コメント (1)
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