我が家の鉢植えのバラも満開に近づいてきた。今年のバラは花が大きくて、その重みで下を向く控えめなものが見られる。花が大きいのは肥料のせいだろう。これまでは鉢植えだからと、鉢の土をそのままにして、根元に肥料を置く程度だった。昨年、友だちから「肥料を与えたら花がよく咲いた」と聞いた。そこで昨年の秋、全てのバラを鉢から抜いて土をほぐし、新しい鉢に新しい土と肥料を入れる植え替え作業を行なった。やはり「バラとボタンは肥料が大事」と言うとおりだった。
なかでも「スウニール ド アンネ フランク」と命名されたバラは、たくさんの花を咲かせている。『アンネの日記』が破られる迫害事件があった。我が家の「アンネのバラ」も強風と寒さによく耐えた。美しいものを「美しい」と、心惹かれるものを「愛おしい」と、言えることが大切だと思う。ところが、人間にはいろんな面がある。ひとりの時は素直なのに、集団やまして国家ともなると、全く違った顔になってしまう。社会主義を標榜する国家であったはずの中国とベトナムが海洋資源の取り合いを行なっている。
今晩はお祭りで、長女のダンナが作詞作曲し振り付けまでしたダンスの発表がある。もちろん踊るのは4歳と19歳の孫が中心で、19歳の孫の友だちや長女の職場の女性たちも友情出演するという。長女はきっとプロジューサー役だろう。これがよい機会になって、長女のダンナに光が当たるといいなと、親バカのように願ってしまう。それなのに、残念ながら私はマンション自治会の役員引継ぎ会の方に出席しなくてはならない。実際の舞台は見られないが逆にその方が、心配せずに見られて、私にはよいのかも知れない。
自治体が違うから、国家が違うから、そんなことでお互いの利益ばかりを強調するのはみっともない。花は人間のために美しく咲くわけではない。バラは芳香を放すが人間のためではない。虫を呼び集めるためだ。虫は花に集まり受粉を助けるが、その幼虫は葉や花を食べるものもある。それぞれがそれぞれを頼りにしている。人間もそんな風に寛大になれないものだろうか。出来る限りそのままにしておきたいと思いながらも、葉に虫がいれば私も殺してしまう。どうしたものだろう。