朝早く、大学で教えている友だちから「会えないか?」と電話があった。待ち合わせの喫茶店に行こうと家を出た時、電話が鳴って「喫茶店は休みだが、どこか他に知らないか?」と言う。「その喫茶店から西に向かって行くと、踏み切りよりも手前の左側にあるので、そこへ行きます」と答えた。ところがその店に入って見るといない。間違えて反対側の喫茶店かも知れないと思い、店に入って探すがいない。ケイタイを持たずに来てしまったので、家にいれば電話があるだろうと戻った。
私が戻る直前に電話が入って、「どこかわからない」と言う。「それでは最初の喫茶店から西に向かい、初めての信号のある交差点で待ち合わせましょう」と答えて、急いで待ち合わせ場所へと向かう。ところがいない。仕方がないから踏み切りまで行ってみようと思って歩き出すと、自転車に乗った友だちが「やあ、やあ」とやって来た。「さっぱり分からん。喫茶店はどこにあるかね?」と言う。目と鼻の先にあるが、見えなかったらしい。以前にも一緒に入った店なのにどうしたのだろう。
喫茶店でコーヒーを頼み、さて何の話なのだろうと聞くが、どう考えてもさほど必要とは思えない話が続く。いや、同じ話が何度も繰り返される。友だちとは同郷で、彼は私より4歳上だ。1年ほど会っていなかったが、なぜか一気に老け込んだように感じた。どんなに頭のよい人も、どんなに精力的に仕事をこなしてきた人も、やはり歳を取る。悲しいけれども避けられない。「先は長くないんですから、早く夢を実現しないといけませんね」とチャチャを入れるが、「まだまだこれからですよ」と若者のように笑う。
ウクライナ東部で事実上の独立を問う住民投票が行なわれた。欧米諸国はこの住民投票を認めないと言う。これが仮に、ロシアからの分離独立を求める住民投票なら、こぞって支持するだろう。立場が違えば考えも違う。しかし、住民が自分たちのことは自分たちで決めることは民主主義の原則である。どんどん国が小さく分割されていけば、民主主義の形も変わるだろう。どこに何があるのか、判断できないような老いが来る前に、新しい時代になるのだろうか。