「これ、人間の生々しさが出ていて、とっても面白いですよ」と友だちが坂東真砂子さんの本を貸してくれた。文庫本『葛橋』は短編で、あっというまに読めた。「車谷長吉さんのようにおどろおどろしいわよ」と彼女が言うように、男と女のドロドロとした欲望というか、現実が描かれていて興味深かった。井上荒野さんの描く性はどこかスッキリしているが、坂東さんはもっと赤裸々で激しいものがある。
私は坂東真砂子さんを知らなかった。ただ、何かで「産んだばかりの子猫を崖から突き落としたホラー作家」というウワサを聞いたことがある。SEXの悦びを奪わないためとかあったので、猫にSEXの悦びがあるのか、変なことを言う人がいるなと思った程度だった。文庫本の方はすぐに読めたのに、もう1冊の単行本『傀儡』はなかなか読み進めることが出来なかった。
鎌倉幕府の執権、北条時頼によって滅ぼされた三浦一族の生き残りの時頼暗殺の物語だが、初めはいったい誰が主人公なのか、どういう関係なのか、何が描きたかったのか、よく分からないことばかりで読み辛かった。それに鎌倉時代がどういう社会なのか、風俗や言葉の意味を分からなくて戸惑ってしまった。坂東さんは時代考証を綿密に行なっていて、『葛橋』とは違う長編大作と評価できる。
私が仏教に関心を持ったのも、この『傀儡』を読んでいたからかも知れない。天皇や貴族のものだった仏教が庶民のものとなった鎌倉時代は、仏教の解釈を巡り多くの宗派が生まれた。タクラマカン砂漠で仏画を見た若者が、「真理」を求めて日本まで来る。宋の時代、中国では禅宗が盛んであった。修行を積んで悟りという「真理」を得る。時頼は鎌倉幕府を強固なものにするために、禅宗に頼ろうとしたのではないかと坂東さんは見ている。
国の頂点に立つことで闘いのない社会を創ろうとする仏教と、個人の生き方や価値観としての仏教とが、仇討ちを軸に葛藤する。何が幸せなのか、何が不幸なのか、坂東作品はいろんなケースを見せてくれる。坂東さんは55歳に亡くなってしまったが、もう少し生きて、70歳になって思う作品を書いて欲しかった。もっとおどろおどろしいものなのか、それともスッキリしたものなのか、そこが知りたい。