今週の火曜日はカミさんの弟夫婦が、今日はカミさんの妹が、赤子を見に来てくれた。今はバラが真っ盛りなので、ルーフバルコニーに出て、バラを眺めながらコーヒーでもと思っていたが、2日間とも風が強くて無理だった。赤子の方は体重が大幅に増えているわけではないのに、日に日に大きくなるような気がする。今朝、カミさんも次女もいないので、私が赤子を見ていた。寝ているから何もすることはないと思ったのに、目が覚めたのか泣き出した。
まだ、生まれたばかりの頃は小さくて抱くのは怖かったので、一度も抱いたことがなかったけれど、このまま放っておくことは出来なかった。手を伸ばして抱き上げてみる。余りにも小さいから壊れそうだが、腕の中にすっぽりと納まる。抱き上げると泣き止んで、黒い瞳でじっと見つめてくる。「おじいちゃんだよ」と囁き、娘たちの時にも歌った「子守唄」を歌っていると、いつの間にか寝入ってしまった。3キロの赤子はこんなにも軽いのかと改めて思う。
長女は2750グラム、次女は2950グラムと小さかったが、私が子どもを抱くようになった時はもう3キロを越えていたように思う。生まれたばかりの子は手足も細く、心配が先に立って抱くことが出来なかった。そのうち大きくなって抱けるようになると、私は「眠らせ上手」になった。そんな子どもたちも、地域新聞を立ち上げた時は高校生と中学生になり、「子育てについて話して」と言われ、子ども自慢をしたことがある。
親になってみると、親はいつまでも子どものことを心配する。私は親が亡くなった時、「これで親のことは考えなくていい、自由になった」と思った。それでいて、結婚する時や子どもが生まれた時、親がいたなら喜んでくれただろうとちょっと寂しかった。カミさんの両親には本当に世話になったから、恩返しがしたかった。子どもたちと4人での旅行はよく出かけていたから、6人乗りの車を借りて両親を連れ出すようになった。
カミさんのお父さんの話を聞くのは面白かったし、お母さんの相談を聞くのも嫌ではなかった。きっと自分の両親が生きていればこんな風だっただろう。そんな思いで暮らしてくるうちに、カミさんの両親も亡くなり、いつしか私たちがカミさんの両親の歳に近づいた。子どもたちが孫にかこつけて、私たちを誘ってくれる。だからもっぱらジジババに徹している。