友々素敵

人はなぜ生きるのか。それは生きているから。生きていることは素敵なことなのです。

取り付く島がない

2014年05月22日 18時15分54秒 | Weblog

 次女が「本当に恥ずかしい。私はずっとヒマだと思っていた」と言う。何のことかと聞けば、「とりつく島もない」の島(しま)を暇(ひま)と思っていたというのだ。「つっけんどんにされるって意味でしょう。だから忙しすぎて相手にされないことだと思ってたの」と。なるほどねと思っていたらカミさんが、「ヒマじゃーないの?えっー、私もそう思っていた」と言う。確かに日本語の発音はむつかしい。

 同じ発音なのに意味が違う言葉がある。「橋」と「端」、「柿」と「牡蠣」などそんないい例だ。朗読の先生は特に関西訛りの発音には厳しかった。アクセントの置き方が違うとよく指摘されていたが、長い間使ってきた習慣は簡単には治らない。英語にも同じ発音で意味の違う言葉があって、これを使って詩やセリフを作る場合もあるようだ。日本は小さな国だけれど、それでも地域によって方言があり、発音の仕方に違いがある。

 次女は昨年から仙台に住むようになった。仙台は各地から人が集まって来ているから発音で悩むことはないそうだが、田舎の方に行けば土地の言葉になって分からないことがあるそうだ。「そういう時はどうするの?」と聞くと、「前後の流れから推測する」と言う。「相手の目を見て、しっかり聞けば分かるわよ」と自慢気に付け加える。「そうか、会話の基本だものね」と少し嫌味で言う。なにしろ、相手が言い終わらないうちに話し出すような早とちりな子だったから。

 「早とちり」の意味は、副詞の「はや」に動詞の「とちる」がつながったものだと推測できる。じゃあー、「とりつく島もない」ってどういう意味なのだろう。そもそも、なぜこんな言い回しが生まれたのだろう。旺文社の国語辞典を見ると、①頼るところがない ②相手がぶあいそうで近寄れない とあるけれど、その出典については載っていない。意味からすれば、次女が思っていたように、「ヒマ」の方が分かる気がするの。インターネットで調べてみると次のような説明があった。

 「船に乗って、海に出たが立ち寄る島もなく、どうしたらいいのか分からない。あの人に伝えて、船には乗らない方がよいと」とある。江戸時代の浮世絵草子に出てくるものらしい。出典を知らずに間違って使っている言葉は結構あるし、いつのまにか間違っている方が一般的になってしまったものもある。言葉は変化するから仕方ないが、でもなあーと古い人間は考えてしまう。

コメント
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