友々素敵

人はなぜ生きるのか。それは生きているから。生きていることは素敵なことなのです。

頑張れない時代になった

2014年05月09日 18時55分30秒 | Weblog

 赤ちゃんはどんなに見ていても見飽きることはない。ただ寝ているだけなのに、いろんな表情がある。次女のダンナは「可愛いですね」と連発していたが、我が子ほど可愛い赤ちゃんはいないようだ。「これからもっと働かなくてはなりませんね」と、決意を込めて言う。次女に言わせれば、「仕事が何よりも好きなのよ」という企業戦士のようだ。昨日、彼のお父さんと話していると、「いつまでも遊んでばかりいてどうなるのかと思ったが、これで腰を据えて人生設計を考えるだろう」と、息子を心配する父親の顔になった。

 次女のダンナは所長を任せられるほど会社から信頼されている。それだけに、目標値をクリアしたいという意識が彼には強くある。「それがストレスになって、可哀相」と次女は言うけれど、大方の人間はみなそんな圧力の中で働いている。仕事をするということは、残念ながらストレス以外の何物でもないだろう。それでも、やっていることが楽しくて仕方がないと思う時がある。うまく回っている時で、結果も充分で、従って評価もいい。ますます調子よく仕事に励んでしまうけれど、ストレスがなくなったわけではない。

 先日、次女のダンナとお酒を飲んでいた時、「『頑張れば出来る』って、あの人たちは必ず言うんですよね。あれは何なんですかね」と言う。「あの人たち」とは彼の上司だった団塊世代のことだ。団塊世代については、「口先ばかりで困った」と他でも聞いたことがある。反体制的なことを言いながら、どっぷりと企業に浸かり、「一番いい夢を見てきた人たち」と後輩たちから揶揄されてきた。私も彼の父親も団塊の世代ではないが、年を重ねる毎に給料が増える時代を生きてきた。

 「努力すれば必ず報われる」よい時代だった。そんな体験から、「成績が上がらないのは努力が足りないからだ」と決め付けてしまう。今は儲かる時代ではないのに、今は先が見えにくい時代なのに、自分の体験からしかものが言えない。年寄りと若者はいつもそんな価値観の違いの中で生きている。「これから」を切り拓いていくのは、40代や50代の彼らである。生きている時代が大きく違ってきたと私たちも認識し、若い世代を理解する努力こそが必要のようだ。

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