昨日の夕方、私たちが次女の病室から出ると、向こうに次女のダンナの姿が見えた。彼は前日、仙台に帰っていったばかりで、次ぎに来るのは今週末と聞いていたからビックリだった。何よりも驚いたのは次女で、彼の姿を見た瞬間にもう涙を流していた。「よく来られましたね」と聞けば、「会社の連中が『見に行って来い』と言うんです」と照れくさそうに笑う。彼も「生まれた」と聞いた時から、それに輪をかけて写真メールで赤ん坊を見た時から、「一刻も早く会いたいと思った」と言う。
そこで仕事の段取りを付け、新幹線に飛び乗ったというわけである。妻の泣き顔よりも、娘の顔が見たい。そして少し、妻を驚かせてやりたかったようだ。自分の子どもなのに、盛んに「可愛い」と連発していた。次女夫婦が還暦を迎える時に、この子は20歳である。赤子の健康を祈ると共に、自分たちこそが健康で長生きしなくてはならない。子を持つ親は誰でもそうでなければならないが、特に両親が歳を重ねてから生まれてきた子の親は尚更である。
「私たちは先に帰るけれど、今晩は一緒に食事できる?」と聞くと、「お願いします」と言う。娘抜きで、娘のダンナと3人での食事は始めてだ。父親によく似た娘の誕生を祝って、カンパイした。彼は本当にうれしくて仕方ない様子で、3人で飲むお酒は格別においしかった。私はおしゃべりにならないようにと思っていたのに、いつの間にか饒舌になっていた。娘が居たならまた叱られてしまっただろう。娘のダンナには違いないけれど、新しい息子のような気持ちだった。
次女のダンナが再び仙台に帰ったのと入れ違いに、彼の両親が姫路から初孫を見て病院に来るというので、私たちも病院へ地下鉄で行った。帰りに一緒に祝杯を挙げたかったからだ。彼の両親も母子共に元気な姿を確認できて、心の底から嬉しそうだった。親はどこでも誰でも、子や孫の健康が一番気になる。これからも健やかに育ってくれと祈るばかりだ。たくさん写真を撮り、赤子を抱っこし、とはいえ、私もダンナの父親も恐くて抱っこは遠慮した。「また来るね」と赤子に別れを告げ、新幹線の乗り場近くの居酒屋風のレストランで祝杯を挙げた。