お酒を飲んでいて、「あれっ?」と気が付いた。まだブログを仕上げていない。いつもは食事をする前に立ちあげてしまうのに、今日は夕方になって手押しポンプのことで、急に出かけたのでいつものペースと違ってしまった。お酒を飲んでからのブログはやめようと決めていたのに、こういう事態になってはそんなことを言っておられない。
それでは、ブログを書き上げることが目標になってしまうが、中学からの友だちとの約束だから、どちらかが出来なくなるまで続けなくてはならない。今日のテーマは?思い出せない。パソコンに向かう前は、今日はこんなことにしようと考える。ところが今日はお酒を飲んで食事をしていた時に、ブログが仕上がっていないことに気が付いた。
60歳過ぎてから、恋に落ちた友だちがいる。彼は「恋してしまった」と言うけれど、それが恋なのか私には分からない。彼は真剣に「相手に狂っている」と告白するけれど、私には恋に恋しているとしか思えない。けれども、考えてみれば、恋などというものは自分にしか見えないもの、恋に恋するものなのだろう。
恋はそれだけで狂っている。彼のように妻子がありながら人を好きになることは規範に反する。けれども、人が人を好きになることを止めることは出来るだろうか。「日本の演歌の90%は不倫の歌です」と、塩崎さんは言ったけれど、それは非日常への憧れなのかも知れないが、道徳や法律では縛ることが出来ない人の性なのだろう。
燃えるような気持ちが、年老いても尚あるのは羨ましい。カミさんや娘さんにバレないように、老いらくの恋をまっとうして欲しいと思うのは誠に自分勝手だ。それでもやっぱり、己の道は己でしか分からないし、他人が歩くことは出来ない。人にはそれぞれの人生があり、その人しか歩むことは出来ない。ガンバレと言ってみたくなる。
明日は7月に6歳になった孫娘の保育園の祖父母参観日。ダンナの両親とまたお酒を酌み交わすことになる。ダンナのお父さんが楽しみにしていてくれる、それに応えることは私には喜びでもある。こんな風に、人の想いを受け止めて生きていけるのは幸せなことだと思う。