いつもの理容店に行くと先客があった。7年前に亡くなった父親の客のようで、「オヤジさんは歌がうまかった」と話していた。今の店主である息子は、「あれだけスナックに通えばうまくなるでしょう」と冷ややかだ。「夜、家にいることはなかったですよ。麻雀をやっているかスナックで飲んでいるかでしたね」。息子はチラッと母親の方を見て、「母とうまくなかった時だったと思いますよ」と言って、話を続ける。
「ある時、『串カツを食べさせてやる』と父親に言われて出たら、串カツ買ってスナックへ直行ですよ。『お前、そこで食べていろ』と言って、自分はスナックのママとチークダンスです。子どもの前ですよ。どういう親だと思いました。『母さんには、黙っとれよ』と言う。よっぽどチクってやろうかと思いましたが、子どもにだって、言えばどうなるか分かりますよ。母親の手前、子どもをダシにしたんですよ」。
私は亡くなった父親と同じ歳で、保育園の会長同士で知り合った。歌もうまかったけれど演説もうまかった。彼は幼い時に両親と死別しているから、随分苦労して生きてきたと思う。勤めた理容店で頭角を現し、賞をいくつか獲得し、独立して店を構えた。子どもの頃には想像も出来なかった大人の世界を見て、そこに金を注ぎ込むようになったのだろう。私たちの世代はそういう男たちが大勢いる。
会社員になった連中でも営業畑なら、会社の接待費で豪遊していた。地域新聞を作っていた頃は首長が部下を何人か連れて、新聞社の地方記者を招待してくれた。私も声をかけてもらい同席したが、記者の中には「自分の方が格が上だ」とあからさまな態度を取る者もいた。首長の接待費を使い、2次会から3次会まで続いた。他人の金で女の子を触りまくるのに比べたら、理容店の父親は自分が稼いだ金だ。少しは大目に見てやったらと思うが、今更言っても始まらない。
そういう時代だった。息子さんも「お金出してまで遊ぼうと思いません」と言う。今でもお金で女の子といい思いをしたい男はいる。息子が「男はいつまで経っても変わらないですね」と呟く。