『50年展』の案内状が届いたと9月27日のブログに書いたが、今日はそれを見に出かけた。彼とは幼馴染で付き合いが続いている男に、我が家まで来てもらい一緒に出かけた。いろんなことがあって、案内状の送り主は鈴鹿市に住んでいる。駅前で落ち合って食事をした後、彼が展覧会という会場へ行く。そこはアパートの1室だった。「TECHNICAL ROOM」の表札がある部屋に入ると、足の踏み場もないくらいの作品が山のようにある。
「整理し出すと、つい見てしまい、なかなか進まない」と言う。高校時代に私が出した課題の作品もあり、私の方が見入ってしまった。彼がフランスの『ル・マン』に乗り込んだ時の写真もある。その頃に描いたレーシングカーのイラストが何枚も壁に飾ってあったけれど、今見ても斬新なデザインである。
昔話に花が咲いていると、鈴鹿市に住んでいるという同級生がやってきた。「先生?」と会うなり彼は素っ頓狂な声を上げた。「年取ったねえ」と言うが、私も彼が分からなかった。昭和45年の卒業だから45年ぶりの再会となるわけで、言われなければ互いに分からないだろう。「先生、見て」と冊子を見せてくれた。はがき大の紙に水彩で花を書いたもので、なかなかのテクニックだ。中秋の名月などは見事な筆使いだった。
聞けば、ここに住んでまだ半年で、庭にある栗で作ったという栗きんとんを持って来た。「たまたま縁があってここの土地を家ごと買ったが、土地が広いので管理が大変」と言う。「どのくらいあるの?」と聞くと、「300坪ばかり。家から鈴鹿の街がよく見える。そばには小川が流れていて、ホタルもいる。住むにはいいところ」と話す。全く偶然に同級生が近くにいるのも不思議な縁だ。
亡くなった人もいるし、行方不明の人もいる。アメリカに渡り、帰って来ない人もいる。結婚して社長夫人となった人、会社を興して潰した人、結婚したけど離婚しクラス会には一度も顔を見せない人、40人ほどのクラスでもいろんな人生がある。様々な人生だけれど、私よりも皆しっかりと歩いている、そんな気がした。