友々素敵

人はなぜ生きるのか。それは生きているから。生きていることは素敵なことなのです。

『夢の途中』

2015年10月20日 19時05分19秒 | Weblog

 10月も半ば以上過ぎた。各地で紅葉が見ごろを迎えている。1カ月以上何も連絡がない。どうしているかと気になるが、「お待たせ」などと笑って現れるかも知れない。今は鈴鹿市に住む卒業生を訪ねた時、たまたま同じ鈴鹿市に移り住んでいる同級生がいたことを以前ブログに書いた。彼はハガキ大のスケッチブックの水彩画を見せてくれたがその時、「先生にも送るわ」と言った。何のことなのかと思っていたが、その品が届いた。

 A4判16ページの水彩画集である。『夢の途中』と題した画集は今年の1月に制作したもので、こんな文面が添えられていた。「ヒトの記憶は、喜怒哀楽などの感動を伴うことで心の襞となって、永遠に残るものと考えられます」。続いて、「思い起こせば、昭和45年」とあり、彼が就職したパンメーカーが大阪万博に単独出展し、以後、飛躍的な成長を遂げたこと、創業者、会長、社長に「身近に接することが出来たことは何ものにも代えがたい喜びとなりました」。

 そして「61歳の今、心の襞の一筋を感謝の気持ちをこめてカタチにしました」と画集を制作した理由が書かれていた。水彩を学校では特に教えてはいなかったから、彼が勤めながら自ら学んだものだろう。安城で仲間とともに作品を展示していた卒業生も、画集を出版した彼も、はるかに私を超えている。私も彼らに追い付かなければと思う。

 『夢の途中』。なかなかいい題をつけた。まだまだ途中なんだという彼の気持ちが滲み出ている。300坪の庭があり、農家を買って補修をしているので、「ここで絵の教室を開こうと思っている」と語った。「それは良い」と私は答えた。定年退職し何かをしたいと思いながら決まられない人たちに、絵を描く楽しさを教えるにはよい環境にある。還暦が過ぎ、自由になった時間を人のために使おうとするのも彼らしい。

 彼は花を、彼女は野菜を、教師の先輩はシンプルなデザインを、それぞれに自分の課題を見つけているのに、私はいまだに「自分の描きたいもの」を定めらえない。若い時のまま彷徨し続けている。まあ、それが私の人生なのだろう。どこかで出会いがあるだろう。

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