掘れました。水も出ました。ガチャポン(手押しポンプ)はこの家のエクステリアを受け持つ業者が設置するというので、私たちの工事はここまで。一昨日は5.5メートルまで掘れたが、なかなか目当ての砂が出てこない。先輩が「あと1メートル」と言う。本当に?と疑問もあった。今日は水圧を利用して掘ることにした。
7メートルまで来たのに、「まだ掘れる」と言う。2メートル足して9メートルになった。「まだ、いける」と先輩は言うので、さらに1.5メートル足す。結局、10メートル近くになって、「塩ビ管が急に重くなった」と言う。「水脈に当たったのだから、吸い管をすぐに入れよう」とやってみる。外側の塩ビ管を抜くが圧力がかかって抜けてこない。それでも1メートルほどは引き上げた。
ガソリンエンジンを動かして水を汲み上げる。思ったよりも水量は多い。水は地下水だから結構冷たい。においをかいでみるが臭みはない。水に緑茶を入れてみるが、黒く変色しなかった。やれやれである。最近、私たちに井戸掘りを教えてくれた先輩が言ったことを思い出す。「素早くやれ」「水脈の判断を誤るな」「ダメな時は、いつまでもしがみつくな」など、手順や判断など、先輩ならどうするだろうと思い浮かぶ。
楽天的な先輩と悲観的な先輩、人が好い人だけに自分で考えないと流されてしまう。そうかといって、自分の考えをキチンと伝えなければ感情のズレが生じてしまう。ワイワイガヤガヤ、好き勝手なことを言い、時に妥協し、作業が続く。「こういう肉体労働も我々までかも知れない」と物知りの先輩は言う。「農作業も土木作業もコンピュター化されていて、優秀な人間しか働けなくなった。若者の3割は働くところがない」と。
バカなことを言い、水が出る出ないに一喜一憂している単純な人間が生きていける社会ではなくなった。病気の主要な原因はストレスだという。豊かではあるが忙しく、それでいて世知辛い、何とも生きにくい社会を作り上げてきてしまった。そう言いながらも、どうにもならないのだから、なるようになるさと開き直ってみる。