友々素敵

人はなぜ生きるのか。それは生きているから。生きていることは素敵なことなのです。

20年間収監されて‥

2015年10月26日 18時19分26秒 | Weblog

 プロ野球日本シリーズは、第1戦に続いて第2戦もソフトバンクが勝った。このまま勝ち続けたのでは面白くないから、東京・神宮球場ではヤクルトが2連勝して5分とし、「優勝の行方が分からなくなりました」となったら、テレビ観戦しようかと思う。第1戦をテレビで観たけれど、ヤクルトは硬くなっていた。たかが日本シリーズと思うけれど、経験の違いが出ていたような気がする。

 個人競技のスポーツ中継を私はあまり見ない。それでも不思議だがマラソンは2時間何分も、ただ走っているだけなのに見てしまう。箱根駅伝も実業団駅伝も県対抗の駅伝も、つい見てしまうがあれはなぜだろう。今日の午後、20年間収監された男女が釈放された。ふたりは20年間も何を見て生きてきたのだろう。小説などでは、独房の高いところにある小さな窓から空が見えるとあるが、空は見えたのだろうか。

 大阪市東住吉区で1995年、住宅火災で小6の女子が死亡した。母親と同居の男が保険金目当てに殺害したとして無期懲役が確定したが、ふたりは無罪を訴え続けた。ふたりは2009年から再審を請求し、大阪高裁が再審開始を決定した。逮捕から20年、ようやく再審開始となったが、無実となったところで失った時間が帰ってくるわけではないことが悲しい。

 名張毒ブドウ酒事件もそうだったが、自分が犯人ではないのに裁かれる人は、捕らえられた時間を取り戻したいというよりも、せめて冤罪であったと明らかにしたのだろう。冤罪はいつ、どこで、どういう形で起こるか、分からない。状況証拠から、警察は自白を迫る。人は耐えられなくなると、「やりました」と言ってしまう。理屈で考える人は理屈で追い込まれ、感情に走る人は感情で追い込まれる。裁く側は犯人であることを認めさるのに全力を注入する。

 事件の真相よりも、20年の年月に絶望的になる。談笑し、飲み食いし、テレビや映画を楽しみ、旅行に出かけたり、人肌を温め合ったり、そんな普通のことが出来ない世界に20年も閉じ込められたなら、何も考えられなくなる。普通に生きてこられてよかった。

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