『曽根崎心中』を朗読で表すとどうなるのか、興味津々だった。待ち合わせ場所の喫茶コーナーに行くが、友だちの姿が見えない。コーヒーとトーストを注文して、カミさんが携帯に連絡するとすぐ前から声がした。死角になっていて確認できなかったのだ。しかし、よく見ると元気がない。目がショボショボしていて、いつもの彼女とは全く違う。「昨夜、飲み会から帰って、鼻水と咳が止まらない」と言う。
「朗読が終わったら、どこかで1杯やりましょう」と楽しみにした企画だったが、どうもこの調子では行けそうにない。開場前から並んで1番前の席に座った。ところが時間が経つに従い、カミさんも友だちもクシャミをハンカチで押さえ我慢している。鼻水をハナカミで押さえている。どう見てもこれは最悪の事態である。演技者に気を遣っているけれど、本人たちはかなり苦しいはずだ。
体調不良なのに朗読『曽根崎心中』はきつかっただろう。1時間ほどを一人で読むのだ。『曽根崎心中』は近松門左衛門の心中ものの走りで、これを角田光代さんが書き直した。朗読をしたのは竹元まき子さんで、プロフィールを見ると「2歳より日本舞踊を始め、長唄、義太夫、声楽、三味線、琴、太鼓など芸事を幅広く修め、劇団前進座にも所属したこともあり、「生きた言葉を客席に届けることこそ朗読の真髄」と、朗読教室を主宰している」とある。
醤油問屋の手代の徳兵衛に心惹かれた遊女のお初、ところが徳兵衛はどうにもならない事態にはまってしまい、身の潔白を明らかにするために死を覚悟する。それを知ったお初は徳兵衛とともに遊郭を抜け出し、露天神の森でふたりは情死する。近松は「未来成仏うたがひなき恋の手本となりけり」と結んでいる。この芝居の影響は大きく、この世で結ばれないならと心中する者が続いた。
手代の徳兵衛がこの世を悲観して死ぬのは分かるが、お初はなぜ死を選んだのだろう。愛する者に同情して一緒に死ぬことで、来世の幸せを願ったのだろうか。遊女だったから、死を選択したのだろうか。心が一つになる、これが恋の手本と近松は言うが、死でしか成就しないとは何ともやりきれない。カミさんも女友だちも症状は悪化している。