友々素敵

人はなぜ生きるのか。それは生きているから。生きていることは素敵なことなのです。

男女共同参画フェスタの打ち上げ会

2016年04月19日 17時26分56秒 | Weblog

 男女共同参画フェスティバル実行委員会の打ち上げが日曜日の夜に行われた。参加者は20人ほどだったが男性は6人で、圧倒的に女性が多い。酔ってもいないのにきわどい話を平気でするのも女性の特性なのかも知れない。学童保育の先生が男の子を捕まえてこんな話をしたと言う。「ねえ、先生は持っていないけど、君たちが持っているキンのタマは大切なものなの?」と聞いたところ、男の子は「うん、大切だよ」と答えたという。

 「これって、セクハラ?」と言うので、「セクハラじゃん」とやり取りが続く。「女性は中にあるけど、男性は外にあるから傷つきやすいのよ」と言えば、「そもそも男は遺伝子が1本足りないじゃーない。初めは女性で、その成長するになかで男性に変わるものがあるの」。「だから子どものうちは男の子は病気にもなりやすい。女性の方が強くたくましいから数も多い」。「そうね、男は意外に傷つきやすいものね」と大笑いになる。

 男が威張るのも弱さの裏返しなのかも知れない。現代の女性は外に出て働き、収入もあるから男性は「愛する対象」だが、私の子どもの頃は戦後といえどもまだ男が威張っていた。「男子厨房に入らず」という言葉があったように、台所は女性の場であった。男は食事が用意されてから食卓に着き、酒を飲み、酌をさせ、茶碗に飯を盛ってもらった。家のことに女が口を出すことはなかったし、必要なお金も夫が分け与えていた。

 「本当に男尊女卑だったのですか?」と若い人は言うけれど、離縁されたら生きていけなかったので従うしかなかったのだ。そんな家庭を見てきた私たちは、戦後の新しい社会の中で家庭のあり方を変えてきた。核家族であったことも影響しているが、家族は平等という意識が根強い。男だから、女だからという差別する風習も無くした。学校での成績を見れば、女の子の方がよいから男の子たちも納得した。

 でもまだ、社会は制度として男女を平等に扱っていない。女性が家庭でどんなに強い存在であっても、社会制度としての平等にはなっていない。制度は男女が希望し議論し作り上げていくしかないのだろう。たとえ女性の方が酒をよく飲むとしても、それは平等の次元が違うから。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする