昨日とは大違いで、また冬の戻ったように冷たい風が吹き荒れている。せっかく咲いたチューリップも強風に煽られ、花弁をもぎ取られてしまったものさえある。自然はむごいことをする。今日は大和塾の総会。7月3日の上野千鶴子さん、9月24日の姜尚中さんの市民講座について話し合った。この2回を成し遂げて解散するが、「もったいないから続けて欲しい」と言ってくれる人もいる。
結論から言えば、大和塾は解散する。私たちが担ってきた役割は果たしたと思うからだ。講演の内容や講師の選択は、どうしても「自分」から離れることは出来ない。つまり、私たちの生きてきた時代が生んだものが、私たちの関心事なのだ。「若い人が集まらない」と言うが、この世代のズレはどうしようもない。若い人を集めたいというのであれば、やはり若い人が主体になる方がいいのだ。
「最近、カミさんと話さなくなった」と言う。「どうして?」とたずねると、「どこへ行くの?何しに行くの?明日ではダメなの?と細かく聞く。初めは説明していたけれど、余りに何度も聞くのでイヤになった」と話す。「まだ、いいよ」と別の人が言う。「ここに入れておいたチラシをどこへやったと言うので、知らないよと答えると、あなたがどこかへやったのよ、どうして私がしまったものを勝手に捨てるのよと、いつも犯人扱いだ」と言う。
夫婦円満のコツは、お互いに関心を持って何でも話すとあったが、その次はお互いに構い過ぎないとあった。全く逆のことが上位にあるのはどういうことなのだろう。こんなことをテーマに講演してもらっても、高齢者は切実な日常の問題だから、「なるほど」と耳を傾けるかも知れないが、若い人たちには「それは年寄りの問題でしかない」のかも知れない。今日も「もっと未来志向の話を」と話題になったが、若い人たちにとっての「未来」と私たちが思う「未来」には大きな差がある。
「こんな他愛もない話を私たちだけでも続けていきましょう」ということで総会が終わった。