熊本で地震が続いている。1週間も揺れ続くなど、不気味な気がする。新聞もテレビも毎日取り上げているが、収まっていく気配がない。そんな中で、現地の高校生・中学生が積極的に配給の品を運んだり、お年寄りに声掛けしたりしている姿があった。若い彼らが、自分も被災者でありながら、他の人のために働く姿はなぜか心温まる。
品物が足りないとか、避難所が狭いとか、耐えられないことばかりだろう。無料でおにぎりを提供している店もあった。その逆に、「物資が少ないから、ここで売れば絶対に儲かる」とテレビを見ながら言う人もいる。「これからは災害特需で、建材は高くなる。人手不足だから、建設関係で働く人は賃金が上がる」と予想する人もいる。不幸は金儲けになると。
経済活動だから、誰がどのように儲けようと、違法でなければ自由である。「無料で配給している品物を集めて、品物が届いていない所で売ればボロ儲けだ」と言った人もいたけど、被災者のことを思い、無償で働いているボランティアの人たちに恥ずかしくないのか。大きく報道はされていないが、無人の家に入り込んで金目の物を盗む泥棒もいるらしい。
極限状態に置かれた時、どういう行為が出来るかで人間の値打ちが決まる。「値打ちなんてどうでもいい。生きていけなければ意味がない。金がなければ生きている価値もない」と言う人もいるだろうが、他の人のために自分が役立っているなら、きっと充実感を味合っていることだろう。他の人のために自分を犠牲にする機会は人生にそれほど多くないから。
このところよく、古い友だちから電話をいただく。昔のことを思い出すことも多い。懐かしさばかりに浸っていると、これはマズイと思う。前向きに、これから先のこと、何かが出来るわけではないが、それでも、こうしたいああしたいと欲を出さないと活力を失っていく。人が生きていくのは、希望があるからだと誰かが言った。被災地の人たちもきっとそうに違いない。