名演劇場で劇団・新感線『髑髏城の7人』を観てきた。『薔薇とサムライ』と同じく作者は中島かずき、演出はいのうえひでのり、劇団・新感線の最もよく知られた作品と言われている。先に、『薔薇とサムライ』を観たためなのか、なぜか物足りなかった。主演も同じ古田新太なのにどういう訳なのだろう。同じ作品で、キャストが異なるものが他にもある。1つは市川染五郎で、もうひとつは小栗旬が主演する。できればどう違うのか、観てみたい。
『髑髏城の7人』はきっと黒沢明監督の『七人の侍』を意識したものだろうが、アメリカ映画の『荒野の7人』とも違う筋書きだった。織田信長にはふたりの影武者がいた。本能寺の変で信長は殺されたが、影武者のひとりは関東で髑髏城を築いて天下をねらう。この影武者を成敗するのがもう一人の影武者という凝った芝居だ。古田が2人の影武者を演じて、そうか最後はこうなるのかと感嘆させられるという訳である。
九州で降っていた雨が午後からこちらへ移ってきた。地震はまだ続いているようで、いったい何時になったら収まるのかと現地の人は「不安でいっぱい」と言う。先の見通しが立たないからイライラする。地震の不安と先への苛立ちが大きくなっていく。もし、自分がその境遇であったならどうする、何が出来る、と考えてみるが何も出てこない。20代の頃、ベトナム戦争のニュースを見て、何というひどいことをすると思った。けれども何が出来る?と問っても「ベトナム戦争反対」と叫んでデモすることしか出来ない。
地震は人間が起こしたものではないが、戦争は人間が行っている。人間が行っているなら、人間が止められないハズはないのに、どうして人間は止められないのか。信長の家来たちは無念だっただろう。復讐を企てる者がいても不思議ではない。けれども芝居の結末は、7人のそれぞれが個人の幸せに戻っていく。それでいいのだろう。