友々素敵

人はなぜ生きるのか。それは生きているから。生きていることは素敵なことなのです。

挫折

2016年04月26日 18時49分41秒 | Weblog

 このところよく電話をくれる先輩がいる。先日も新聞に載っていた姜尚中さんのことを話してくれた。「どこの新聞ですか?」と聞くと、「毎日新聞だよ」と教えてくれたので、図書館に行って4月分の毎日新聞を眺めてみた。私の記憶では、毎日新聞がこれまでの常識を覆して、他社に先駆けて斬新な割り付けを行った。すでに他社でも見慣れた今日のスタイルである。

 私が高校生の頃、毎日新聞で『教育の森』という特集が組まれていて、私は新聞記者になりたいと思った。その特集の組み方が今日もなお続いていると、私は新聞を眺めながら思った。新聞はニュースではテレビに勝てないが、読者に考える時間と材料の提供では負けない。そこを敏感に受け止めている。面白い特集を組み、読者を引き付ける工夫を凝らしている。

 今日までの4月分しか見ていないが、特集ではないが「団塊の世代」に関する記事があちこちにあった。私は団塊世代より少し上に属する。大学生になって読んだ小説で感銘を受けたのは、柴田翔の『されどわれらが日々』と、高橋和己の『邪宗門』だった。高校時代の仲間とこの2冊を議論した。『されどわれらが日々』は大学の弁論大会でも取り上げて演説したが、何を話したかまでは覚えていない。

 私が大学生になった頃は、60年安保の敗北感が社会に漂っていた。「挫折」という言葉をいろんなところで見かけた。何もしなくても成績がよかったのに、私は高校生になって、「挫折」した。なにくそ!とは思わずに、アホみたいに勉強していると自分を正当化した「挫折」であった。60年と70年、学生たちは先鋭化し武闘に走った。そのくせ、長い髪を切り背広に着替えると再び組織のために我武者羅に働き出した。私には受け入れらないことで、また「挫折」した。

 団塊の世代が切り開いた価値観は戦後世代に共通する。個人の自立、自由を尊ぶ個人主義だ。上からの命令に従うのではなく、自ら考える人間になろうとしたはずだが、組織を背負うようになると、組織人になっていくことに躊躇なかった。いったいどうしてなのか、考えると「挫折」しかなかった。

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